嬉しかったこと

お母さん「ウチの子に中学受験が向いているか、わからない。」
お父さん「じゃぁ、サーパスだけ行かせてもいいんじゃないか。」

無事に受験を終えてサーパスを卒業した生徒のお母様から、
実はサーパスに入塾する前に、お父様とこんな会話をしていたのだとうかがいました。
それは僕にとって、とても嬉しく感じられるものでした。

受験をしないかもしれないのに受験塾に通うことを
不思議に思う人もいるかもしれません。
「だったら子どもらしく遊ばせればいいのに。」
そう言う人もいるかもしれませんね。

でも、じゃぁ他の習い事を考えてみてください。
例えば、ピアノを習っていたとして、
将来ピアニストを目指している人はどのくらいいるでしょう。同じように、
みんながみんな、水泳選手になりたくて水泳を習っているわけではないと思います。

子どものうちに、感性を磨かせたい。身体を鍛えさせたい。
自分(親)も子どものころに習っていて役に立った。
習い事って、そういうものではないかと思います。
また、習い事によっては、礼儀作法やしつけを目的に、
あるいは社会性を身につけたり、心を鍛えたりすることを
目的としていることもあると思います。

いずれにせよ、その先に何か明確な目標があるというよりは、
それを続けること自体で得られるもの(過程)を、目的としているような気がします。
そして、その習い事を通して、生きていく力を身につけていくように思います。

もちろん受験塾は、そういったいわゆる普通の習い事よりも、
入口の段階で(ジャンル分けの段階で)目的ありきの習い事ですから、
同じようには語れないのかもしれません。
ただ、子どものうちに勉強をしておくことの重要性については、いわずもがなです。

サーパスは受験塾ですから、
過程を目的として見てもらえると思っていなかった分、冒頭の会話は新鮮であり、
また、結果(どこに合格したか)だけではない、
もっと長いスパンで見ていかないと価値がわからないようなものを
(入塾前から)大切にされていらっしゃったのだとわかって、嬉しくなりました。