「自分(子ども)で決めさせる」という言葉が、
親御さんの口から随分と頻繁に出るようになりました。
「子どもの人生なのだから」
「子どもの好きなようにやらせたい」
「親が決めたレールを進ませたくない」
私の子どもの頃と照らし合わせて、羨ましいなぁと思うところもありますが(笑)、
ただ、子どもの立場から、それが必ずしも嬉しいこととは限りません。
後になって、選択をミスったかなと子ども自身が思った時に、
「自分で決めたことなんだから、文句言わずにやりなさい」
「自分で決めたんだろ。最後まで責任持ってやり抜きなさい」
なんて言葉が飛んでくるなら、
「そんなことは聞いてなかったよ」となるんじゃないでしょうか。
(子どもの)逃げ道がなくなるのです。
親が主導で何かを決定すると、後々
「お母さん(お父さん)がやれって言ったから…」
なんてことを言う子がいるもんだから、そういうことのないように、
(取りようによっては)言質をとったってことになりますよね。
ちょっと意地悪く書くなら、
子どもに決めさせたことで、子どもに責任の一端を押しつけ、
親の責任を一部軽くしたとも言えるんじゃないでしょうか。
わざと意地悪く書きましたが、
もちろん親御さんの意図していたものは、
そんな意地の悪いものではなかったのだと思います。
子どもの意思を尊重したいという善意的なものだったと予想されます。
でも、その意図が必ずしも良いものに作用するとは限らないのです。
変なたとえかもしれませんが、
女性が洋服を買いに行くのに付きあった時に、
2着の服を右手と左手に持った状態で
「どっちが似合うと思う?」
と聞かれた状況にも似ているかもしれません(笑)。
自分の想いを正直に伝えたからといって正解にはならないことも多々あり、
自分の感想を伝えるのではなく、相手の意図を汲みとろうと必死で空気を読んでも、
正解がその2択以外のこともあるという…(苦笑)。
自分で決めるように言われた子どもが、
正直に自分の気持ちを言っている保証はありません。
お母さんやお父さんが何を望んでいるかを一生懸命考えて、
自分の望んでいない答えを導き出していることもあります。
むしろその方が多いかもしれません。
付け加えるなら、その空気を読んだ答えですら、
実際に言葉にしてしまうと、
(本当はそれを望んでさえいなかったのに)
色んなものが降りかかってきてしまうので、
結果、何も言えなくなることもあるのです。
さらに付け加えると、それ(自分の気持ちを言えないこと)に対して
「自分の気持ちさえ言えない子ども」というレッテルを貼られることまであります。
そういうわけで「自分で決めなさい」という言葉は、
時に厳し過ぎる要求になるのです。
「責任はあなたが取るものではないから」というものが感じられれば、
自由に決めることもできるかもしれませんが、
「責任を取るのは親なのだから」と、親に決定してもらった方が、
いい意味で諦めがついて(笑)いいこともあります。
子どもをいつまでも子ども扱いせずに、
自分の発言(決定)に責任を持たせることが、
大人になるきっかけになることもあるでしょうから、
それ自体は大切なことでもあると思います。
その一方で、まだ知らないことだらけの子どもは、先を見通すことができないので、
自分で決めろと言われても決められないことばかりです。
そのときに、親が人生の先輩として揺るぎない信念を持って
「○○した方がいいと思うよ」と言ってくれたら、
安心することもあると思います。
友達みたいな親子が増えているという話を聞いて、
そんなことをつい考えました。