親離れ子離れ

サーパスはもう間もなく、新学年になって二度目の面談月間に入ります。

6年生(の保護者の方)にとっては、

天王山とも言われる最後の夏を目前に控えた面談です。

受験まで残り半年!勝負の夏!失敗は許されない!

と、親御さんの方が当の受験生以上に意気込んで、

そしてそれが勢い余って、切羽詰まった焦りになることも多々あるようです。

「ウチの子、いつになったら本気になりますか?」

「どうやったら本気になりますか?」

「親として何をしたらいいですか?」

どうにかしてあげたいという温かい親心をひしひしと感じ、

また、僕らも何とか力になりたいとは思っているので、

本人次第!と突き放す気はないのですが、

とは言え、いつまでもやらされている勉強で「気づき」がなければ、

「気づい」た子ほどは伸びません。

また、本人に「気づき」がないからと、周りの大人ばかりが躍起になっても、

反比例するかのように、自分から進んで勉強をするようには

増々ならないかもしれません。

かなり乱暴なたとえをしますが、歯磨きをする時、

最初は親御さんが磨いてあげていたと思います。

いつからか自分で磨くようにさせるわけですが、

虫歯になるのではないかと心配で、親御さんが磨いてあげているとか、

一通り自分で磨かせるものの、最後に仕上げを親御さんがするとか…

を、いつまでもいつまでも、いつまでも(笑)続ければ、

確かに虫歯にはならないかもしれませんが、

自分一人ではいつまでたっても歯磨きすらできません。

修学旅行で先生に磨いてもらうわけにはいきません。

自分で磨かせたら磨き方が雑で、

ひょっとすると虫歯になることもあるかもしれません。

虫歯になったら困るのですが、

だからと言って中学生になっても高校生になっても、大人になっても、

親御さんが磨いてあげるわけにはいかないはずです。

どこかで手を放して、自分でちゃんと磨けるようになってもらうしかないのです。

歯磨きのたとえは無茶だったかもしれませんが、

勉強にも言えることだと思います。

テスト(特にカリキュラムテスト)に向けて周りの大人があれこれ対策をすれば、

子どもが自分で準備するよりも効率のよい、

一見最短距離に見える勉強をすることができます。

テストに出そうなところは、経験を積んだ大人の方がきっとわかります。

ここをおぼえておけば点数に繋がる…と、なりがちです。

しかし、テストで失敗しないようにと手を貸し過ぎると、

そのテストの時の点数は良かったとしても、幼い子ほど「気づき」に繋がりません。

次からはこういう風にやればいいんだなと「気づけ」る子ならいいのですが…。

これは、子どもの側からも「もう自分でできるからいい!」「ちゃんとやるから!」

と、その責任を負う決心が必要なのかもしれません。

いつまでも親御さんに頼っているのは恥ずかしい。しっかりしなきゃ!

と思える風土が今の日本にはないのかもしれませんが、

今のお父さんお母さんが子どもだった頃は、

小学生、幼稚園の子どもに向かってでさえ

「この家は、お父さんが倒れたらお前が守るんだぞ!」

と、そんな声をかけていたように思います。

今はまだ守られる存在でありながらも、

やがて自分が誰かを守っていかなきゃいけないんだということを想像させる。

それが可能か不可能かはどうでもよくて、

そういう自覚を促すということが大事だったように思います。

全部自分一人でできるわけではないけれど、

自分でやろうとしてみる気持ちになった時、

結果としてやったことが失敗に終わるかもしれないけれど、

その失敗を「よく頑張った!」と認めてあげることが大事だと思います。

その失敗が成長の証なのだと思います。

失敗しないようにと先手を打つよりも、

失敗させることが必要なのではないでしょうか。