「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
は、(世界史を学ぶと必ず登場する)「鉄血宰相」の異名で知られる
プロイセン王国首相ビスマルクの言葉である。
(直訳は、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、
最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」)
直訳と照らし合わせて考えるに、
『自分の経験だけで物事の判断をしない方がいい』
ということになるのだろうと思う。
僕にとっても耳の痛い言葉である。
客観的に物事を捉えようと意識はするけれど、
最終的に何かを決断する時には、
どうしても自分の経験から判断してしまうことは多い。
その経験が一般的にどれほど正しいかを、常に自問自答していないといけない。
例えば僕が中学受験をした時は、まだ過去問指導というのが一般的ではなかった。
自分の受けたい学校の過去問題を何年分も解いて、
その学校の求めるものに自分を適応させていくなんてことには、
おそらくどの塾もあまり積極的でなかったように思う。
本当の力があれば、(そんなことをしなくても)どんな問題でも解けるはずだ。
ということで、過去問を本格的に解いたのは年が明けた1月に入ってからで、
しかも2、3年分くらいだったと記憶している。
この自分の経験で今の中学受験を語れば
きっと『時代遅れ』『時代錯誤』と言われてしまうと思う。
流行に敏感過ぎて自分たちのポリシーやスタイルを見失うようなことでは情けないが、
頑固オヤジの塾でもいけないと思う。
また別の例であるが、僕は中学受験の塾に入る前、
徹底的な反復練習で有名なところ(一応塾の部類に入るのだろう)に通っていた。
そこはやりかた、解き方を教えてくれるわけではなくて、
教室の一番前の席におばちゃん先生が1人いて、
プリントを解き終わったら持っていき、全部合っていると次のプリントをもらえる。
間違えたらやり直しのプリントをもらえるという、ただその繰り返しだけのところである。
ただそれだけのところだったが、おかげで計算には自信がついた。
自分でやるしかないということでも、僕にはいい環境だったのではないかと思う。
しかしこれが難しいところで、自分には合っていたと思うけれども、
皆に勧められるかというと話は別だ。
まず、あまりに過剰な単純作業なので、
慣れが進み過ぎると頭を使っているようでたいして使っていないんだなと、
今になって振り返ると思う。
また、間違えた時にきちんとやり直す人はいいが、
答えをただ暗記していたり丸写ししたりしていた人もいたから、
そうなるとますますよろしくない。
あくまでも、この塾が悪いと言いたいのではなくて、人によるということを強調したい。
自分がうまくいったからと言って、
それが自分以外の人にも常に当てはまるとは限らない。
最後に、最近確信に近い形で思っていることを付け加えてみる。
昔はきっと、そういった過剰とも言える反復練習をしても、
日常的に手を動かし体を動かすことで
思考力を鍛える場面がたくさんあったから良かったのではないか。
パターン学習を取り入れても、それだけにならずに済む何かが
日々の生活の中にあったのではないか。
という風に思っている。