先日、だいぶ昔の卒業生から連絡をもらった。
(そのときの最新だった)「具体化するとできるかもしれない」というブログが、
心に刺さったとの連絡だった。
どうやら、その日、「勉強してくる!」と図書館に行って、
スマホをいじったり、寝たりしていたことを反省したらしい(笑)。
その子のことを思って書いたブログではなかったが、
卒業してなお、サーパスのブログが、
自分を省みるきっかけになったのであれば、良かったと思う。
ところで、その子は、サーパスのホームページを頻繁に見ている子ではないと思う。
たまたま、なんとなく、それこそ魔が刺して(笑)、ホームページを開いたんだと思う。
そうしたら、偶然、そのブログだったのだろうと思うのだが、
こういうことって、人生では稀にある気がする。
すなわち、気づきをもたらしたり、一歩踏み出すきっかけや後押しになったりするような
偶然の出会い。しかもその出会いは、不特定多数に向けられた広告だったり、
カフェでコーヒーを飲んでいたとき、目の前の人が読んでいた本の背表紙だったり、
他人同士の会話の断片だったりと、自分とは本来関係ないはずのものにもかかわらず、
しかしまるで、ちょうどいいタイミングを見計らってやってきたような、
そういう不思議な出会いのことである。
こういうことも、縁と言えるのだろうと思う。
ホームページを開かなければ、翌日も図書館でスマホをいじって寝ていたかもしれない。
また、たまたまホームページを開いた時の最新ブログが、
ムーディー勝山だったなら、その子の中に今回のような反省は生まれなかったと思う。
しかし、こういう縁が、何かのきっかけになるかどうかには、
その人の感受性や意識が大きく関わってくるとも思う。
同じ文章を読んでも、同じ言葉を聞いても、それが何にもならない人もいる。
自分たちに向けられた言葉でさえ、自分ごととして捉えないこともある。
校長先生やPTA会長のありがたいお言葉など、聞き流した覚えのある人は多いはずだ。
今回は、その子の中に、ぼんやりとでも、
今日の過ごし方は良くなかったなぁと(自分自身で)思う気持ちがあったから、
あのブログが刺さったのかもしれない。
(そういう意味では、持っている意識や感性によっては、
ムーディーが刺さる人もいるかもしれない!)