国語の授業中、教室から
「今読んでるところ、見て!」「どこ読んでるかわかってる?」
「見て!」「集中!」「目を離さない!」
「見てる?」「大丈夫?」「聞いてる?!」
「途中で集中切らさないで!」「悪い癖がつくぞ!」
と、ひっきりなしに先生の声が聞こえてくる。
(もちろん、集中して授業を聞こうとしている子もいる。)
一口に「勉強が苦手」と言っても、何を苦手とするかには違いがあるが、
(勉強の)苦手な子の多くに共通するのは、
「人が話しているときに、勝手に聞くのを止める」という特徴である。
お友達や先生が(国語の)本文を音読しているときは、
今は自由時間と思うのか、鞄の中身の整理を始めたり、カラーペンを並べてみたり、
プリントを丁寧に折り畳んだり、近くのお友達の様子を観察したり…と、
なぜ今それをやろうと思った???というような行動を取り始める。
聞いているような姿勢と顔つきでもって、全く聞いていない子もいるが、
すでに色々と振り切ってしまった子の場合は、聞いているフリすらしない。
設問の答え合わせに移ったときでさえ、なぜそうなるかの説明は一切聞かずに、
最後の結論、答えだけ聞けば十分という態度でいる(そうして答えも聞き逃す)。
子どもだけじゃなく、大人の世界にも、こういう人はいると思う。
そして、こういう人がいたときに、今の令和の時代、どういうことになるかというと、
皆さま経験はあると思うけれど、言っても無駄、関わるのが無駄とばかりに、
放っておくのが普通だと思う。最初の1、2回は、声をかけたり注意したりするものの、
そこで改善されない、改善する気もない、何なら不貞腐れた態度を取られる…
なんてことがあれば、相手にしないという選択をすると思う。
子どもの頃に放っておかれた結果、そういう大人になってしまったのかどうか。
そこの因果関係についてはわからないけれど、
僕らは、大人として、そういう姿勢の子をそのまま放っておくのは
無責任であると考えている。だから、冒頭のように、しつこく声をかける。
きっと、他所では、「聞かない自由」を認めていたのだろう。
聞きたくないなら聞かなくていい、その結果、いつの間にか勉強がわからなくなっても、
好きなように生きたんだからいいじゃないか!ということなのかもしれない。
だが、そういうところとサーパスは考え方を異にする。
どちらが正しいなどと論じる気はないが、僕らは姿勢にも口出しする。
蛇足だが、
先生が話をしている最中だろうと、手も当てずにあくびをする子が増えた。
もちろん、あくびをするな!と言いたいのではない。
ただ、相手が誰であろうと、人が話しているときにその態度は失礼なんだよ!
ということを話すのもサーパスの特徴である。
昭和と言われるかもしれないが。