入試直前の1月、家庭での様子はどうだったかわからないが、
少なくとも塾では、全受験生がかなり真剣に勉強に向かっていたと思う。
あのときの本気度を100とすると、入試まであと1年というちょうど今頃は、
いくつぐらいの数字だったろうか。
受験を終えた子や、そのご家族であれば、今ならわかると思う。
入試までまだ1年あるときの小学生の本気度なんて、せいぜい10くらい。
結果的に第一志望に合格した子でさえ、この時期のご家族は、
本当にこんなんで大丈夫なのだろうか…と心配だったに違いない。
そしておそらく、その本気度は夏を迎えたあたりでも20~30くらい、
夏を終えてもまだ50にも満たない。そうこうするうちに秋も終わろうとして…
と、そんな状態だったのではないだろうか。
そう考えれば、自分から勉強するようになった!よく頑張った!
と、我が子の最終的な成長に目を細めることができると思うけれど、
同時に、1年も2年も前から、もっとちゃんとやりなさい!
自分のための勉強でしょ!なんて言葉がけをしたところで、
たいした意味をなさないことにも気づけると思う。
ところで、SNSの普及によって、これまでなら表に出てこないような
リアルで生々しく、ドギツイ情報も手に入れられるようになった。
手に入れられるというよりは、勝手に目に入る形になってしまった
と言った方が正確かもしれない。
例えば、ひと昔によく聞いた話でいうと、
「お父さんのトイレが長くて、しかも出てきた後、ものすごく臭い!」
と、我が子がお友達やその家族に向かって無邪気に話すと、
「そういうことは、外で言わないの!」と、母にたしなめられる。
家庭内のことを外でむやみに話すな!という、そういう躾があったと思う。
ところが今は、匿名や偽名を使って、むしろ積極的に
(家庭内の)不満や愚痴を吐きだす場としてSNSが貢献している。
何を言うかではなくて、何を言わないかに知性や品性が出る
と思われていた時代は、もはや過去のものとなったのかもしれない。
一応断っておくと、不満や愚痴を自分の中に全て溜め込んで、
それが爆発して壊れてしまうくらいなら、吐き出してもいいとは思っている。
身近な人には相談しにくいから、不特定の人に相談するのもわからなくはない。
だが、AI機能の発達により、ネットもSNSも
一度目を通した内容と似通った内容のものを勝手に選んで表示してくる。
すなわち、一度ネガティブな内容のものに目を通すと、
闇落ちとまでは言わないけれど、負のスパイラルに陥る可能性がある。
もっとこうしておけば良かった、親の覚悟が足りなかった、やり直したい…
こんな言葉をずっと目にしていたら、不安になって、
もっとやらせなきゃ!もっと管理しなきゃ!と親は思うかもしれない。
だけど、1年前に戻ってその後悔をやり直せたとしても、
今度は違う種類の後悔をするんじゃないかと思う。
だって、その頃の子どもはまだ本気じゃないから。
その気の無い人を無理やりどうにかさせようなんて、自分がされたら嫌でしょ。