6年生が志望校の過去問を解き始める時期になった。
しかし、今の自分の学力よりも数段上の学校を志望校にしているのであれば、
この時期に合格点を越えられるわけがない。
夏休みに一生懸命頑張ったとしても、
もっと前からずっとずっと頑張っていたとしても、そんなことは関係ない。
自分のレベルよりも数段上の学校を選んだのであれば、
この時期に(合格点を越えるという)結果が伴うことはない。
(もし、結果が伴ったのなら、その志望校は実力相応の学校だったのである。)
こんなに頑張ってきたのだから、その分の見返りが欲しいという気持ちはわかる。
しかし、そろばんやスイミングの進級テストとは、わけが違う。
これら2つのような、今までの人生で経験したことのあるテストは、
例えば、3級のテストを受けるときには、
すでに4級のレベルには達していて(4級の資格を持っていて)、
3級のテストのための練習を積んだ上で(テストに)挑む。
(しかも4級と3級との間にある差を、当事者が認識できている。)
だから、練習したことをそのまま発揮するだけで進級できる可能性がある。
また、進級できる人数に制限がないのも、これらのテストの特徴である。
しかし、自分のレベルよりも数段高い志望校の過去問を解くというのは、
これとは全く違う話である。
まず、やってきたことがそのままテストに出るなどということはない。
もし、ここ最近勉強したことが、そっくりそのままテストに出たとしたら、
むしろそのときの結果をどう判断するかが難しくなる。
とにかく、現状見上げている憧れの志望校の過去問を解いたときには、
合格点を越えられないのが普通である。
だから、合格点を越えられなかったことにショックを受けるのではなくて、
自分の現在地(何ができて何ができていないか)を知ることや、
ここからどう勉強していくべきかの方針を立てる(あるいは相談する)こと、
そして、今後、その課題を1つひとつクリアしていくこと。
そういうことにこそ意味がある。
ちなみに、その過去問の結果を見て、「受からなかった…」とか、
「こんなに取れないなんて…」とショックを受けたのだとすれば、
良い結果を得られると、ちょっとでも期待していたというわけで、
それはつまり、今の自分の力を過信していたか、
入試というものを甘く見ていたのではないだろうか。
それは、厳しく言えば、その憧れの学校のレベルをなめていたとも言える。