宿題について考える②

宿題というものは、真面目に考えると、課し方が本当に難しい。
(いい加減でいいなら、いくらでも課すことができる。)

自分は行ったことがないけれど、夏に向けて身体を引き締めたい!と、
〇〇ザップに入会したとする。ジムに行っている間は、
そこでのトレーニング自体がきつかろうと、きっとどうにかなる。
トレーナー次第かもしれないが、必要なことを必要なだけやらせてもらい、
しかも身体を壊してしまうような無理まではせずに、
身体を鍛えることができるのではないだろうか。

しかし、夏までに結果を出したいと本当に思うなら、
ジム以外での日々の練習や、食事制限(コントロール)を指示されるはずだ。
これが、勉強でいうところの宿題に近い。

すでにモチベーションの高い人や、身体を鍛えること自体が楽しい人には、
そこまでの苦はないかもしれない。
しかも、そういう人は、課されたものに対して受け身になるのではなく、
アイデアを出したり、先生に相談したりしながら、アレンジを加えて
もっとハードなトレーニングをするかもしれない。
また、身体の構造や筋肉の付き方にも詳しくなる分、
負荷をかけすぎた練習や、集中力を欠いた練習をすると
怪我に繋がることもわかるので、丁寧な練習をすることと思われる。

しかし、ここまでのモチベーションが無い人にはどうだろうか。
ジム以外で暴飲暴食、不摂生になられたのでは目標を達成できないから、
課題や制限はどの人にも課すだろうけれど、
ハードな課題を出したら、続かない人が出るのではないだろうか。
それよりは、無理のないものの方が、長い目で見たら持続できるのではないか。
また、見るからに食事制限を守っていないのに、ウソをつかれるよりは、
(某S先生が病院のアンケートで酒量を聞かれ、たまにの欄に☑を入れていた。)
自分にできる範囲で、守ろうという意識を持ってくれたら進歩なのではないか。
成果を急いで、指示を守らない練習、回数だけこなす練習をして怪我するよりは、
ゆっくりじっくり取り組んだ方が、むしろ成果は出やすいのではないか。

このように、宿題の課し方は、全員に一律に!というのがとても難しいのだ。