『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』

東北楽天の名誉監督、野村克也さんもよく口にしていた言葉であるが、
要は、「まぐれで勝つことはあっても、まぐれで負けることはない。
負ける時には、負けるだけの原因・理由が必ずある」ということである。

 

例えば、入試を受け終わって、「できた!」「受かった!」と思ったのに、
結果が不合格だった場合、なかなかその結果を受け入れられないかもしれない。
採点ミスなんじゃないか?とか、名前を書き忘れたのか?とか、
そんなことも考えてしまうかもしれない。

でも、後々発表された解答で確認してみたら、
計算ミスや、問題の読み違いのオンパレードだった…とか、
そういうことって、皆さんが想像しているより、はるかに多い。
(実際、生徒が入試から持ち帰った問題用紙には、
その子が問題を解く際に使った式や筆算が残っているが、
それを見たときに、生徒の「できた!」という感触とのズレを感じることは多い。)

要するに、「できた!」と自画自賛したくなる、ちょっと浮ついた状態は、
思っている以上に危険なので、そう思ったときほど、冷静かつ謙虚に、
見直しや解き直しをすべきであったということなのだが、
しかし、傷口に塩を塗り込むような真似をしたいわけではない。
むしろ、結果が伴わなければ、それに向き合うことで、
反省や改善ができて、今後の人生にいかせるという利点があるが、逆に
「不思議の勝ち」を収めてしまった場合に目が曇ってしまうこと、
真実が覆い隠されてしまうことを危惧している。

 

単純に言えば、志望校、特に第一志望校に合格すると、
受験勉強がうまくいったかのように思う可能性は高い。
それが成功例として記憶されて、他者にも当てはめようとするかもしれない。
もちろん、きちんと結果を出せた人に対して、
第三者がマイナスなことを言う必要などないのだけれど、
当の本人は、たまたまかもしれない。運が良かっただけかもしれない。
少なくとも、自分には合っていたけれど、他の人には合わないかもしれない。
そういう感覚を持っていた方が良いように思う。

勝って驕ってはいけないし、それを人に押し付けるのもよくない。
同じことをやってうまくいくとも限らない。
そういう謙虚さが必要だと思う。

 

 

と言いながら、「不思議の勝ち」でも、まぐれでも何でもいいから、
勝って欲しい!ということもあると思う。
頑張れニッポン!