中高6年間、例えば、運動部でずっと頑張ってきた人が、
高校最後の大会において、初戦で敗退して、
その日に部活を引退することになったとしても、
それまでの経験は、きっと一生の財産になると思う。
もし、人生をやり直せるとしたら違う部活に入りたい!
と思うことはあっても、初戦で負けたことを理由に、
「やらなきゃよかった」とは思わないのではないか(と思う)。
一生懸命にやったって、満足いく結果を得られないことはある。
そんな時は、そりゃ悔しい。
精一杯やったから悔いはない!などと、すぐには言えないと思う。
しばらく立ち直れないかもしれない。
だけど、本当に精一杯に打ち込んでいたら、
不思議と「やらなきゃよかった」とは思わないものだ(と思う)。
「やらなきゃよかった」という感想を抱くのは、
「もっとちゃんとやっておけばよかった」と同様に、
半端な気持ち、半端な努力で、半端な結果を手にしたときかもしれない。
あるいは、得たものが無かったわけではないけれど、
やるときの気持ちや、やり方を誤っていたことで、
得たものと引き換えに何か大切なものを失ったりした、
そんな場合に思うことなのかもしれない。
受験勉強については、しばしば負の側面に焦点を当てられてしまう。
それこそ全国ニュースにもなったような虐待の話や、
虐待までいかなくても、受験後に禍根というか、
しこりを残した人の話などが取り上げられてしまう。
だけど、それは、受験勉強自体に問題があったのではない。
そんなことを言い出したら、野球だってサッカーだって、
ピアノだってバレエだって、何だって同じなのだと思う。
それらは全て、プロになれないなら失敗とか、結果が出ないなら価値が無いとか、
決してそういうようなものではない。
それらは本来、可能性を広げたり人生を豊かにしたりするものであるはずだ。
だから、間違った方向に向かわせない限りは、
「やらなきゃよかった」などという感想になるわけがない。
つくづく、そういう感想で終わってほしくないと思う。
〇〇に受かったから満足とか、そういうことだけではなくて、
「やり切った」「やって良かった」「大変だったけど充実してた」
「受験する機会を与えてくれてありがとう」
そんな気持ちになって受験を終えられたら…と思う。