教養ってどうやったら身に着くのか。

入試が終わって、ようやく受験勉強から解放されたとき、
あるいは、定期テストが終わって、自由な時間を持てたとき、
友達と遊んだり、散々我慢してきたゲームをやったり、
録画しておいたドラマを観たり、読みたかった漫画を一気読みしてみたり、
そういう風に過ごすことを悪いとは言わない。
数々の誘惑に耐えて頑張ってきたのだから、ご褒美があったっていいと思う。

だけど、こういう時にこそ、その人の根幹の部分が見えてくることも間違いない。

テストが終わっても、またすぐに教科書や参考書を開いて勉強しなさい!
英語をやりなさい!こういうときこそ苦手分野の克服をしなさい!
毎日〇時間ずつ勉強しなさい!継続すること!習慣付けが大事!
と、そんなことを言いたいのではない。そうではなくて、

例えば、受験が終わってから、あるいは、定期テストが終わってから、
何か一冊でも、新しく、本を読みましたか?
自分の興味のある分野でもいいから、知らなかったことを調べたりしましたか?
いえ、そんなに改まる必要などなくて、
毎日ニュースを見たり、新聞を読んだりしていますか?
その見聞きしたニュースに対して、答えが出せなくてもいいから、
問題意識を持ちつつ、あれこれ考えたり、思いを馳せたりしていますか?
と、こういう話をしたいのだ。

テストが間近に無いようなときは、別に何をして過ごそうがいいじゃないか!
テストのときは、ちゃんと計画立てて勉強してるんだから!とか、
テスト期間じゃなくても、日々宿題はちゃんとやってるよ!とか、
それはそれでもちろん素晴らしい。頑張っていることを否定する気はない。
ただ、言い方は難しいのだが、もしそれだけになってしまうなら、
それはとてももったいないと思う。

 

受験した学校に合格できたなら、その子の学力レベルは、
その学校の求めるレベルに達していたと言える。
その意味では、どんなレベルの学校に進学したとしても、
自分がその学校の中で他の人よりも劣っているなどということは考えにくい。
だが、入学後、いわゆるペーパーテストや成績以外のところに目を向けてみると、
同じスタートラインには立っていなかったのだと痛感し、絶望するほどの
教養の差を感じることがあるかもしれない。

 

(以前のブログで似たようなことを書いたことがあるが)僕自身がそうだった。
書く文章、会話の中に出てくる語彙、社会情勢を切ったときの切り口…
いたるところで、かなりの差を感じた。カルチャーショックを受けた。
所詮、自分はテストでちょっと点数が取れただけ。
ただそれだけでいい気になっていたんじゃないか。
浅い、恥ずかしい!と打ちのめされたのだ。

僕は、その僕を打ちのめした友人や先輩(後に後輩も)に対して、
純粋にかっこいいと思ったし、今でも憧れ(のようなもの)を持っている。
そして、その気持ちのおかげで、毎日を充実させたい、もっと成長したい
と思えているのかもしれない。

 

志望校に受かったからOK、テストの点数が良かったからOKで終わりにしない。
何を言わんとしているのかが伝われば幸いである。