江角
「来年、大学入試が変わりますが、その影響も考慮しつつ、
これからの学習には何が必要だと思いますか。
まずは理系担当の先生からいきましょうか。」
三柴
「ICT教育(ここではITを活用した授業の意味で使用しています。)
という言葉が叫ばれて久しいですが、サーパスでも実験的に導入を始めています。
事前に資料を用意して、それをみんなで共有することで、
その場での理解を深めることが出来ます。
ただ、それだけでICT教育を始めているとは言いがたいです。
『こういう質問が出そうだな』
と、予測して資料を用意するだけでは今までと変わりません。
ICTが本領を発揮するのはその先にあります。
生の授業では、予測できない発言や発想が多く飛び交うものです。
昨日見たニュース、本で読んだ知識、両親や友達との会話…。
子どもは思いついたものを、素朴に口に出します。
このゲリラ的に発生する学びへのきっかけを拾うことが出来るのが
ICTの強みだと思って利用しています。
実際、学びの輪が広がっていくことを実感しています。」
加瀬
「確かに、授業の内容によっては映像化したほうが分かりやすいかな?
と思うんだけどね。でも僕は、どうしても紙と鉛筆で解いてこそ
本当の力になると思って、ホワイトボードとペンのみの授業を続けてる。
画像の便利さはわかってるんだけどね。
便利さが、イコール力になるかと言われたら、
そうじゃないところも多いんじゃないかって。」
江角
「三柴先生の言わんとすることも、加瀬先生の言わんとすることもわかります。
理科や社会で、実際に目で見た方が早いものはたくさんあるでしょうし。
今までならそれが資料集だったんでしょうけど、
今なら映像として動画も観られますしね。
一方で目に見えないものを想像させる、少なくともそういう訓練をさせる
という意味では、視覚に頼らせない学習も必要だと思います。
科目の違いでもあるんじゃないですか?」
三柴
「結局のところ、ツールの問題ではないんですよね。
同じツールを使っても、意義に違いがあれば、
言葉のチョイスや、資料作りへの対応などで微細な差が生まれます。
そして、その微細な差が積もりに積もって、
最終的に得られる果実には大きな差が出ると思います。その本質は、
突き詰めるとその人の持つ人間性に行き着くような気がしてならないです。
今は、学ぶことと、勉強することが乖離し始めているように感じています。
本来であれば、大きな『学び』というくくりの中に、
科目毎にやるべき課題をこなすための『勉強』があるのではないか?
と思っています。とりわけ、受験となると『勉強』のイメージで終始しがちで、
本来の『学ぶ』という意義を忘れがちです。
しかし、最近の理科の入試を見ていると、
『勉強』ではなく、『学ぶ』ことを求めている様に感じます。」
江角
「『勉強』の方ばかりがクローズアップされると、
お受験!なんて言葉で批判されますからね。
小学生はもっと遊ばせた方がいい!とか言われて、
塾が悪者にされてしまうこともあります。」
三柴
「サーパスは、本来あるべき姿の塾でありたいと思っています。
例えば、ゾンビになった蟻を操るキノコがいるんだよ!?すごくない?!
コーヒーが好きで、サイフォン式に憧れててさ~、などと、
これだけを読むと、どちらが子どもなのか分からないかもしれないですが、
小学生にとって楽しそうだな、世界が広がりそうだな、
という基準で話題を選んでいると、不思議なことに、
それが有名校の入試問題に登場していることが多々あります。
やっぱり、これでいいんだな、と自分のスタイルに自信を持てる瞬間です。」
(文系編)に続く…。