何年生の時のことだったかはおぼえていませんが、
有島武郎の『一房の葡萄』を初めて読んだ時、
胸の奥の方がなんとも言えずじんわりしたことを、いまだにおぼえています。
主人公の「僕」が友達(ジム)の絵の具を盗んだことは
確かにいけないことなのですが、
その過ちの後に、「先生」が「僕」を叱責するのでもなく謝らせるのでもなく、
ただ許したということが、「僕」を「前より少しいい子」にしたのだと思います。
悪いことをした分は償わせなければならないという考え方なら、
当然この先生のとった行動は理解できません。
処分が甘すぎる!とか、
そんなことでは人のものを盗んでもいいと思う人がますます出てくる!と
憤る人もいると思います。
まぁ実際は、この先生の対応やその後のジムの態度は、
作者の有島武郎がキリスト教の洗礼を受けていることと
関係があるのだろうと思います。
僕はクリスチャンではありませんから、もし同じような場面に遭遇したら…
ただ許すことはできないかもしれませんが、
過ちを許すことは大切なことだと思います。
さて、『中学入試によく出る書籍一覧』などという見出しを見ると、
つい、読んでおいた方がいいと思うかもしれません。
確かに初めて読む文章よりは一度読んだことがある文章の方が、
内容を把握するのに時間がかからないので有利は有利だと思います。
ただ、個人的な意見を誤解をおそれずに言うのであれば、
必ずしも全文を読む必要のない本が、その中には混ざっているように思います。
現代の問題を象徴するように、
イジメや暴力、リストラ、離婚、性の問題などなど…が取り上げられ、
「どうだ?この世界は?これが現実だぞ!」と、
頭の中をグチャグチャにドロドロにされます。
まるで出口がない箱の中に閉じ込められたような気分です。
「こんな世界に生まれて、お前はどうする?」と乱暴な問いをぶつけておいて、
しかし正解を指し示す手がかりすら与えてもらえないような、
そんな気持ちになるのは私だけでしょうか。
現実の世界は、
ひょっとしたら『一房の葡萄』ほど美しいものではないかもしれませんし、
「先生」の対応が、日本的社会でも果たして本当に正しいのかはわかりません。
しかし、読んでいる最中に、あるいは読み終わった後に、
心の中がじんわりと温かくなるとか、
小さくても遠くに明るい出口が見えているとか、
何かそういった本を読むことに意味があるのではないかと思った次第です。