毎年

今日の朝日新聞デジタルに、サンドウィッチマンの言葉が載っていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK3855TJK38UCLV009.html

以下は伊達さんの言葉です。
『僕は震災の翌年に子どもが生まれました。
すると、震災で子どもを亡くした親のつらさをより感じるようになりました。

仙台市に住んでいた同級生は、
子どもと、妊娠中だった奥さんが津波に流され、
家族の中で自分だけ生き残った。
そいつは胸まで海につかって長い棒を使って自分の子どもを捜し出し、
口の中が泥だらけなのを洗ってあげて。

奥さんは2週間後に2キロくらい離れたところで発見された。
その後、同級生は仮設住宅で1人でがんばっていたんですけど、
やっぱり耐えられなかったんでしょうね。
奥さんを火葬した日の1年後に、
「子どもに会いに行ってくる」という遺書を残して自殺しました。

そいつの気持ちがわかるんです。俺でも、たぶんそうするかもしれない。
同級生のことは別にニュースになっていることでもないんですけど、
被災地では、そういうことがいっぱいあるんだろうと思います。』

ここだけ読んでも涙が溢れそうになります。
自分が伊達さんの同級生の立場だったら、どうしただろう。
自分が伊達さんの立場だったとしても、何ができただろう。

でも、考えても答えが出ないんですね。

だから、というのも変かもしれないですが、
今日、3月11日は、私にとって、
今当たり前にある(と思ってしまっている)家族や友達や、身の回りの人たち、
そういう大切な存在に対して感謝しようと
改めて思う一日になっています。