『掟の門』

先日、某神奈川県男子中学校に合格された方から、

中学校からの課題図書についての話を伺った。

課題図書は5冊あったのだが、

その中にドイツの作家であるカフカの『掟の門』も含まれていた。

カフカは『変身』が有名であるが、

この『掟の門』も中学高校の読み物としてよく使用される。

『掟の門』…ふと、かつての教え子を思いだす。

「カフカの『掟の門』を授業で読んだのですが、

イマイチ理解できなくて…何回読んでも微妙です。

何か読むコツとかヒントがあれば教えて下さい。」

と当時高校1年生だった教え子から連絡があったのだ。

もう10年以上も昔の話ではあるが…。

『掟の門』は四百字詰め原稿用紙四枚にも満たない短編であり、

要約すると次のような内容である。

「田舎から来た男が、とある門にさしかかる。

そこには門を守る番人がいて、この門を通ってはいけない、という。

田舎から来た男は許可がでるまで待っている。

しかし、門そのものは、ひらいている。

番人は、『通りたければ通ってもかまわないが、

その先には強い奴ばかりがいて、おまえは耐えられないぞ』という。

田舎から来た男は何年も待ちつづけるが、全く許可はおりない。

田舎から来た男に死が近づく。

ついに倒れ、臨終を迎えた際、番人は男の耳もとでこういう。

『ここはお前以外のやつは誰も入れなかったのだ。

この入口はお前だけのために作られたものだったからな。

おれはもう門を閉めに行く。』」

門とは自分の外にあるのか、それとも内にあるのか?

田舎から来た男は本当に門の先に行きたかったのか、

はたまた門前にいることですでに幸福であったのか?

そもそも「門」とは何であったのか?

解釈はいくらでも可能である。

その後、卒業生とお互いの解釈を披露し合い、

カフカに関するやり取りは終了した。

あと1か月もすれば、学校・職場を問わずいずれも「入」の時期となる。

「五月病」にかかりやすい不安定な時期もやがて訪れる。

ちょっとした小石の躓きに心の安寧を揺さぶられる微妙な季節の到来を前に、

人それぞれの前に、人それぞれの「門」が現れるはずだ。

「門」を前にいかに考え行動すべきか。

まもなく門を「出る」ことになる受験生はなおさら、

決意と自覚を新たに持たなければならないのであろう。

「門そのものは、ひらいている」のだから。