上村愛子さん。モーグル(スキー)選手。
高校1年生で初出場を果たしたワールドカップで、いきなり表彰台に上がる。その後、
1998 長野 7位
2002 ソルトレイクシティ 6位
2006 トリノ 5位
とオリンピックでは3大会連続入賞を果たし、
2007−2008シーズンにはワールドカップ5連勝を含む快進撃で、
日本スキー界で女性として初となる種目別年間総合優勝を達成。
名実ともに世界No.1となる。
この勢いでオリンピックでのメダルも確実と思われていたが、
2010 バンクーバー 4位
2014 ソチ 4位
となぜかオリンピックではメダルと縁がなかった。
バンクーバーとソチでは同じ4位だったが、バンクーバーの時は
「何で、こんなに一段一段(7→6→5→4位)なんだろう?」
と残念そうな涙を流していたのに対し、ソチでは
「すがすがしい気分」と充実感のある涙だったのが印象的だった。
先月、その上村愛子さんが引退会見をした。
記者「目指していたメダルという物には届きませんでしたけども、
それ以上に得た物があったのではないかと思うのですが、
どんな物が得たものとしてあげるとしたらありますか?」
上村さん「そうですね。やっぱり最後まで本当にオリンピックのメダリストの
仲間入りって言うのは目標の中で叶わなかったものなんですけど、
でもその大きな目標を持てたおかげで毎日前を向いてトレーニングに励めたりとか、
毎試合毎試合結果を出そうと頑張れたりとか、
前に進む原動力みたいな物は目標から貰えたと思っているので、
やっぱりメダリストにはなれなかったですけど、
そこを目指すと言う大切な時間は与えてもらえたなと思っています。」
この上村さんの言葉を聞いて思い出したのは、
ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏の『目に見えないもの』という本である。
この本のあとがきに
「ずっと若い頃の私は百日の労苦は一日の成功のためにある
という考えに傾いていた。
近年の私の考えかたは、年とともにそれと反対の方向に傾いてきた」
「無駄に終わってしまったように見える努力のくりかえしのほうが、
たまにしか訪れない決定的瞬間よりずっと深い大きな意味を持つ
場合があるのではないか」
とある。
「勉強好き?」と聞かれると「いやぁ…」と言葉を濁す子(卒業生)の中にさえ、
中学受験のために頑張った1年とか2年を振り返ったら、
案外「あれはあれで楽しかった。」なんて思うんじゃないだろうか。
「もう1回受験勉強やってみる?」なんて聞いたら、
それはさすがに嫌かもしれないけれど(笑)、
でも何かに向かって頑張っていたことが実はたまらなく貴重なことだったんだと、
後になって気づくことは多い。