五月こそ

「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」

江戸時代中期の俳人、山口素堂(1642〜1716)の作である。

視覚、嗅覚、そして何よりも味覚をいち早く手にしようとする

江戸っ子の粋さがこの俳句から新鮮に伝わってくる。

まさに五月。一年を通して最も過ごしやすい季節の到来。

五月は「さつき(皐月)」とも呼ばれる。「さつき」は、田植をする月であることから

「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったそうだ。

また、「サ」という言葉自体に田植の意味があり、

「さつき」=「田植の月」になるとする説もあるらしい。

いずれにせよ、五月は、私達の五感を颯爽とさせる。

だが、この五月はまた「五月病」の季節でもある。

医学的には「適応障害」と診断されるらしい。

進学や進級による新しい生活環境に無我夢中でいるうちはいいのだが、

ひと月も経つと新鮮味も薄れはじめ、たまった疲れが出てきたり、

新しい生活環境や友達関係についていけなかったりする。

特に友達関係に大きなストレスを感じ、

「やる気が出ない」「食欲がない」などの症状に見舞われてしまった、

思春期を生きる真面目な生徒たちにとって、この5月は何よりも辛い月間であろう。

毎年五月になると、厳しい受験を乗り越えて旅立った受験生に

つい想いが馳せてしまう。

「○○は大丈夫かなあ?」と。

私が今回、「五月」を取り上げようと思ったのは、長い休暇を伴うこの月を、

普段の生活習慣やものの見方・考え方を見つめ直し、

今年一年間の展望をじっくりと見据えるためのチャンスにして欲しいからだ。

「どうしてやる気が出ないのか」「何でこんなにストレスがたまるのか」

と悲観的になっている自分を分析してみることで、

完璧さを求めすぎていた自分を発見するかもしれないし、

瑣末なことを焦って考えすぎていた自分を再認識できるかもしれない。

後ろ向きな面をハハッと笑い飛ばしてしまえば、

あとは自分なりのペースで新しい環境に自然と慣れていくものだ。

では自身を再認識するために、具体的に何をなすべきか。

先ずは今年一年間で、熱中出来そうなことを何か一つ具体的に見定め、

「プチ目標」を設定してみることをお勧めしたい。

例えば夏目漱石の『こころ』を手始めに読んでみる等、

気楽に出来るところから坑道を掘り始めてみるのはいかがだろうか。

「熱中しているものがないと情報は集められないんですよ。」

「私は興味のあることしか(小説に)書いていない。」

と作家の村上龍氏がかつてコメントしていた。

義務ではない分、自分のペースで歩みを進められるのは何よりも気楽だ。

こうと決めたら後は「案ずるよりも産むが易し」、

熱が冷めない内に、その日から即行動に移すのみである。

「達成可能な」目標を設定し、実際行動に移してみることによって、

その行為をしている自分自身の変化(これを「成長」というのかもしれない)に、

ふとした瞬間気がついたりする。

新たな行動を起こす過程に、時を超えた出会いの場が生じ、

そこで過去の自分と今の自分、時には未来の自分と遭遇したりもする。

「おい、おまえなかなかやるじゃないか!」

などと自分から自分へと語りかけられるのに悪い気はしない。

「何言っていやがるんだ!昔のおまえのざまはなんだ!しっかりしやがれ!」

なんて逆に言い返してやるのも痛快かもしれない。

早稲を吹き抜ける爽やかな薫風と共に、本格的な夏が到来する。

「風たちぬ いざ生きめやも(堀辰雄)」。

原文は「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.(ヴァレリー)」

(風がおきた、生きてみなければならない)。

生きようとするきっかけを与える人それぞれの風が、

万緑の皐月に彩を添えていることを切に願う。