100年ひと昔

1914年6月28日にどのような出来事があったかご存知でしょうか。

いまから100年前の今日、サラエボ事件…いわゆる第一次世界大戦が勃発しました。

「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナで、

オーストリアの皇太子がセルビア人青年に暗殺され、

これをきっかけにヨーロッパ列強が自らの国土であるヨーロッパで

4年にわたって壮絶な戦いを繰り広げました。

この大戦は、これまでの兵隊同士の戦いから、国民対国民の戦いへと変貌を遂げ、

戦場が市街地にまで拡大したことで一般市民にも多くの犠牲者が出てしまいました。

また、戦車や潜水艦、飛行機、毒ガスといった新兵器が開発され、

これまでの戦争とは比較にならないほどの被害を世界中にもたらしました。

第一次世界大戦は、戦争の世紀と呼ばれた20世紀の鍵穴をこじ開け、

第二次大戦、そして米ソの冷戦へと発展しゆく

「負の導火線」の火付け役となったのです。

第一次世界大戦の教訓は何でしょうか。

ナポレオン戦争後のウィーン会議から100年間で、科学技術は飛躍的に発展を遂げ、

同時に「理性」的な判断を土台とする近代社会が確立していきました。

しかしながら、人類の理性は、得体の知れない「怪物」を生み出し、

これを御することができなかったのです。

これはどうしたことでしょう。

さまざまな要因が複雑に絡み合っているにも関わらず、

原因を単純に還元するのには当然危険をはらむのですが、

おおざっぱに言うと、「社会の幼児化」に原因があったように思われてなりません。

平たく言えば、知的頭脳は発達しても、

精神力や判断力は成熟とは逆の方向に舵を切り、

自己抑制できずにいる「大きな子ども」の台頭が、

欲望の発散として「カーニバル」(熱狂的なお祭り騒ぎ)を追い求め、

その祭りの行き着いた先が大戦であったとは言えないでしょうか。

その結末としての大戦の悲劇は、

「後の祭り」では済まされない巨大なつめ跡を

物理的にも精神的にも後世に残してしまいました。

では、第一次大戦の100年後に生きる私たちは、教訓を生かしているのでしょうか。

平成不況下の閉塞感からようやく抜け出しつつある私たちの社会に目を向けてみると、

私たち自身も20世紀の枠から逃れられていないように思われてなりません。

100年前よりも情報はあふれかえっている分、

選択し、判断する能力がより求められていますが、

その煩雑さゆえに目を背けたくなり、他人任せにしたくなるのもうなずけます。

しかし、思考停止した瞬間から負の「歴史は繰り返し」ます。

なぜヒトラーが、自由を前提とする民主主義から誕生したのか。

民衆が自由と表裏一体である「責任」を背負いきれず、

甘い言葉を発する独裁者に判断をゆだねたことにその原因があったのは、

歴史の事実が物語っています。

熱狂的な盛り上がりの最中にも、一歩立ち止まって考える冷静さを持ちたい、

そう念願させられた今日一日でした。