全員の行き先が決まって、ホッとした気持ちもあるが、
もっとできることがあったんじゃなかろうかという反省もあって、
毎年この時期はまだ落ち着かない。
さらには、入試が終わった翌々日には新学年の授業が始まっていて、
新6年生のお母様方から、「あと1年!」という意気込みを感じるから、
もうすでに落ち着けない(笑)。
毎年毎年、一筋縄ではいかない猛者(受験生)を相手に、
ガチンコでぶつかり合っている。
大手塾じゃきっと考えられないだろうけれど、ときには
「はぁ!?全然わかんないし!」なんて言葉を生徒から浴びせられて、
「こんにゃろう!もう1回説明するから聞け!」なんてやり返す。
そのふてぶてしい態度は憎たらしいほどだが、
それも、伸びたい!できるようになりたい!という自然な欲求の発露。
(敬語を使えないなんて)礼を失しているという人もいるだろうけれど、
逆に、小学生は信頼できない相手に、こんな言葉遣いはできない(と信じている)。
だから、憎たらしいとは思っても(笑)、無礼だとは思っていない。
そして、ガチンコでやり合ったからこそ、厳しい受験勉強を終えたときには、
どこか戦友みたいな気持ちになる。
平昌オリンピックでも度々目にした、試合が終わった後はノーサイドで
健闘を讃え合うのに近いような、そんな気分になる。
もちろん一番行きたかった学校に届かなかった子もいる。
そこに向けてどれだけ努力を続けてきたのかを知っているだけに、
言葉でいうほど簡単には割り切れないものもある。
だけど、子どもたちはもう、新しいスタートラインに立って前を向いている。
少なくとも向こうとしている。
間違いなく、一回りも二回りも強くなったと思う。
積み重ねてきた努力は、結果に関係なく財産である。
僕の尊敬するイチロー選手は、
プロでやる以上、結果はもちろん大事だとしながら、
「プロセス(過程)は、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。」
と、こう言っている。
そしてまた、財産は積み重ねた努力だけではない。
ホッとした気持ちや嬉しい気持ち、
満足感や自己肯定感、感謝の気持ちといったプラスの気持ちだけでなく、
悲しい気持ちや悔しい気持ち、
不安や虚無感、屈辱感といった一見マイナスの気持ちだって、
生きていればいつかきっと味わう気持ち。
それら全てを受け入れて、そして前を向こうとしていることって、
勇気もいるし、とても難しいけれど、ものすごく大切で価値のあることだと思う。
それができるって、それだけで素晴らしいことなんじゃないかと思う。
だから、戦友という言葉には、リスペクト(尊敬)の気持ちが入る。
みんな、かっこよかったよ!お疲れ様!