高校受験も指導していた時のこと。
神奈川県の高校受験は、日本全国でもトップクラスの内申重視型である。
この内申点を持っていないと、公立の高校であっても上位校を受けられない。
(正確には受けるのは勝手だが、受からないので受験を止められる)
そこで塾の役目として、内申点を取るための授業というのが必要になる。
具体的には、各中学校の定期試験前になると、カリキュラムを進めずに
「テスト対策授業」として、学校のテスト範囲の確認と復習をしながら、
予想問題を作成して解かせ、答えをおぼえこませるような授業を
(塾の方針として)おこなっていた。
当然、学校によってテスト範囲は違うし、テストの日程も違うので、
カリキュラムを進めるのも一苦労ではあったが、
幸い(?)なことに、神奈川県の高校入試問題は他県と比べても簡単なので、
あまりそちらには気をまわさなくても良かった。
また、中学校の定期試験は、文科省の決めた指導要領通りに出るので、
教えている先生のクセさえつかめば、予想問題を作ることも割と容易かった。
自分の教えている塾には、1校舎あたり4、5校の中学校から生徒が通っていたが、
どの中学校に対しても予想問題を作成でき、
国語のような、問いまでを予想することなど不可能に思える教科さえ、
8割9割方、問題を当てられた。
だから、上位クラスの子たちなら、国語であっても95点以上取るのだが、
内申が相対評価だった時代は、それでどうやって成績をつけるのか不思議だった。
神奈川県の高校入試では、これで結果を出せてしまうのだが、
さて問題は、教育として『これでいいのか』ということである。
県の入試を突破する力は着くから、その塾を選んで通ってくれている人のニーズには
きちんとこたえていることになるのかもしれない。
しかしそれが本当の「力」になるのか。社会に出て役に立つのか。
初めから公立は考えていないから、内申点などどうでもいい。
という私立志向のタイプや、
同じ公立でも、お隣の東京都や地方の公立には、
私立よりむしろ優秀な学校もあるのでこの限りではないが、
そんなことをつい考えてしまう。
もちろん、そんなことは塾の一教師が考える必要はない。
そんなものは家庭で判断する。となれば、その通りかもしれないが、
「この子、いいセンス持ってるんだけどなぁ」「ちゃんとやったら伸びるのに…」
という子たちを、テストに出るとか出ないとか、そういった薄っぺらい指導だけで、
その子その子に合った形で鍛えてあげられないことが、
とてももったいなく思えた。