低学年や中学年のときの勉強は、それ以降の勉強と比べたら、さほど難しくない。
国語の文章題なら、日常生活に困らないくらいの会話力があって、
学年相当の語彙力と、すぐに飽きない程度の集中力があれば、
ほとんど迷うことなく答えを出せる。
社会や理科などについても、覚えるべきことがそこまで多くないので、
そこそこの暗記力と、テスト前の親御さんの気合い(笑)でまだ対応できる。
算数についても、量をこなせば(パターンを覚えて)できてしまう問題が多いから、
真面目にやればテストで辻褄を合わせることができる。
ところが、5年生以降は、そうはいかなくなってくる。
教わる内容の難しさが一気に加速し、宿題課題の物量も増えて、
親御さんの気合いだけでは、もうカバーしきれなくなる。
勉強時間を増やして、真面目に宿題に取り組んでもなお、
理解がカリキュラムの進度に追いつかなくなる。
そして、そのことに気づきながらも、
「それならもっとやるしかない!」とばかりに、親子で走り続けることを選択する。
と、こんな風になってしまうと、勉強はキツイ。
理解が追いついていないのを、その場しのぎの暗記で乗り切ったとか、
白紙にするよりは…と、問題の見た目から(勘で)書いた角度が当たったとか、
そういうことの結果で、上の方のクラスにいられたとしても、
この子の学力は、きっと上がっていない。
カリキュラムが全て終わって、総合的な学習に入ったときに、
そのメッキは剥がれ落ちてしまう。
メッキが剥がれ落ちてからでも、正しい勉強にシフトし直せれば、まだいい。
学力を正しく積み上げてこなかったわけだから、
そこから入試までに間に合うという保証はないけれど、
正しい方向に舵を切れたこと自体は、(今後の人生において)良いことだと思う。
だが、せっかく真面目にやれるタイプなら、もっとやりようがあったとも思う。
すなわち、5年生以降は、そうはいかなくなってくると上で述べたが、
5年生になる前、低学年、中学年の時点で正しい勉強の仕方を体得していれば、
誤った方向にむしろ勢いをつけて進み続けるようなことは、なかったはずだ。
せめて、このままでいいのだろうか?と疑問に感じたところで、
他の方法を模索しても良かったと思う。
ところで、正しい勉強と言われてもピンとこないかもしれないから、
今日は正しくない勉強の例を書いて終わろうと思う。
低学年、中学年の国語において、読んだ瞬間に答えの出せる選択肢の問題がある。
さて、その答えに丸がついたことで満足して、国語の学習を終わりにしてしまったら、
この子の国語の力は上がるだろうか。