逆に考えたらわかりやすいのではないか。
親が子どもと仲良く、和気あいあい、勉強を楽しんでいるのはいい。
だが、親が勉強のスケジュールを組んだり、予定通り進まないとイライラしたり、
上がらない成績を見て怒ったり、その成績で悔しがらないことに唖然としたり…。
そして、地頭のせいにしたり環境のせいにしたり、挙句、見込みが無いと見放したり…。
あるいは、他の習い事を一方的に辞めさせたり、塾までも辞めさせようとしたり…
そして、塾を続けたいなら…と、勉強を続けることにさえ条件をつけたり…。
このように文字にすると、
これらのやらせ方で学力が上がるはずがないことは一目瞭然である。
子どもが勉強を好きになることもないし、勉強を好きだった子でさえ嫌いになると思う。
また、必要のないウソだって、(子どもが)つくようになるかもしれないし、
ストレスを他にぶつけるようにもなってしまうかもしれない。
中学受験では、しばしば「伴走」という言葉を目にする(耳にする)が、
こういう接し方を「伴走」とは言わないと思う。
これでは、親が鞭を持って子どもを追い立てているだけで、
「伴走」というよりは、「調教」に近い。
親が望むように育ってほしい、そう育ってくれないなら実力行使もやむを得ない、
そういうやらせ方だと思う。
少々話が飛ぶが、
女性は「共感」だけを望んでいるのに、男性は「解決策」を提示してしまう、
こんな話を聞いたことはないだろうか。
何かしらの問題に直面したときに、女性は、
こうしておいたら良かったんじゃないか!とか、こうしなかったからダメだ!とか、
そんな上から目線の説教じみたアドバイスは求めていなくて、
ただ愚痴を聞いてほしい、苦労話をさせてほしい、
そしてそれを乗り越えたときには労ってほしいと思っているという話である。
それで、(僕は女性じゃないので、女性の本当の気持ちはわからないけれど)
その場面で求められているもの、おそらく寄り添う気持ちなのだろうと思うが、
それが「伴走」に近いんじゃないかと思う。
もし、この仮説が正しいなら、女性は経験的に「伴走」上手なのではないか?
と思うのですが、女性の皆さま、どうでしょうか?