複眼②

家で全然勉強しない子がいたとする。それで、親御さんから
「先生からも勉強するように言ってください」と頼まれたとする。
ここでは、親の代わりに「勉強しなさい」と言うのが、
塾の求められている役割なのだろう。

 

子どもが自ら机に向かって勉強している姿を見ると、親は安心する。
逆に、自分が仕事から帰ってきたときに、外で十分遊んできたはずの子どもが、
さらに家でもゲームをし、youtubeをダラダラと見た後、
ソファでゴロゴロしていようものなら、怒りが湧いてくる。

それでも最初は優しく問いかける。「宿題はやったの?」
しかし、返事はない。
もう一度聞く。「宿題やったの?」少し語気が荒くなる。
「まだ」
「いつやるの?さっさとやっちゃいなさい!」
「後でやるよ」
「後でって、もう夜だよ。また、もう眠いとか言うんじゃないでしょうね?」
「うっさいなぁ」
と、こういったやり取りが毎日のようにおこなわれていると、
わざわざ高いお金を払って塾なんかに行かなくていいのではないか、
もう受験なんてしなくていいのではないか、と思ってくる。

それで、「親が言っても聞かないから、先生から勉強するように言ってほしい」
となるのだと思うけれど、先生から勉強するように言ったとしても、
こういう子の場合、おそらく、家で勉強できるようにはならない。
結果、先生から言ってもやらないのなら、ウチの子には無理だ!という判断になる。

 

確かに、勉強習慣はつけておいた方がいい。
昔よりもはるかにそれが必要とされるようになった。だが、
正論で押して、言うことを聞かないからもっと強く押して、強制して…では、
自分から勉強をやるようになるどころか、勉強を嫌いになると思う。

だから、どうしたって工夫が必要なのだ。
先生からの「勉強しなさい」の一言で、自分から勉強するようになるなら、
こんなに簡単なことはない。
そんな簡単なことならお安い御用で、何度でも言ってみせるが、
その子の年齢だとか、精神的な成長度合い関係なく、
ただ「勉強しなさい!」などと言えば、しかも何度も何度も言ってしまえば、
それこそ、親に叱られているのと同様に、もはや慣れっこになって、
先生の言うことも聞かなくなるのではないか。

 

そういうわけで、勉強をしていないと不安に(不機嫌に)なる親御さんに対して、
「勉強しなさい」と言わないでほしい。
家で(自分から)勉強しないのは、小学生なら普通のこと。
イライラしながら、ダラダラ机に向かうくらいなら、いっそ何もしなくていい。
と、およそ普通の塾では言わなさそうなことをお伝えする。

お父さんもお母さんも、そして塾の先生までもが、同方向から子どもを見て、
同じこと(正論)しか言わなければ、子どもには逃げ場がない。
そうではなくて、多角的に見る。複眼で見ることが大切だと思う。
役割分担と言ってもいい。
最終的には、「勉強しなさい」を塾が言い、家では一切言わない形が良いと思う。