兆しとは

先日のブログで、「その子の中に今まさに伸びようとする兆しが見えた時」
という表現を使ったが、このことについて補足したい。

これは、ずっと60点くらいしか取れなかった子が、
80点取れるようになったというような、点数での結果論ではない。
相変わらず60点前後の点数だったとしても、
点数の取り方、あるいは、間違え方が良くなってきているとか、
図の描き方や式の書き方、手の動かし方が俄然良くなったとか、
そういう現在進行形の判断である。
いや、もっと言うと、多少直感的な未来予想である。

 

問題を解く時に使ったであろう数字から、その子の頭の中が見える!
と言ったら、気味悪がられるかもしれないが、本当にそういう感覚にも近い。

ちょっと極端な例を挙げるなら、それまでは、問題がちょっと難しくなると、
問題文に書かれている数字を、なんとなく足してみたり、かけてみたり…という
思考とも呼べない、いい加減な数字の扱い方だったのに、
それが明らかに、意図を持った数字の扱い方に変わったのを感じる時がある。
筆算や、メモ書きのような数字しか残っていなかったとしても、
そこに、その子の思考の積み上げが見える。
書かれた数字が色を帯びてキラキラと輝き始めるというか、
空気が変わるというか。そういうタイミングのことを、
「今まさに伸びようとする兆し」と表現した。

 

ちなみに、この「今まさに伸びる」というタイミングを逃さないように、
サポートする側の人間は、その子のことをよく見ていないといけない。
そして、その伸び始めたタイミングこそ、大切にしないといけない。

スポーツの世界では、不思議とよく耳にする話であるが、
調子が良かったのに、(自分の調子の良さに浮かれて)怪我をしたとか、
調子の良さを過信したり、あるいは油断したりして、ペースが狂ったとか、
そういう、もったいないことが起きることがある。

勉強に関しても、この大事なタイミングで、
量をやらせ過ぎるとか、レベルの全く合わないものをやらせてしまうとか、
不要なプレッシャーをかけるとか、点数や偏差値で叱るとか、あるいは、
「今日は気分転換しようか!」などと、大人の都合で休ませてしまうとか…。
そういうことをすると、伸びるチャンスを逃してしまう。
(伸びる兆しに気付けない)鈍感な人がサポートする側にいると、
その子は伸びるチャンスを逸してしまう。

 

先日のブログで、クラス替えをテーマにしたが、
「ウチの子の成績で、どうして上のクラスなのだろう?」
「下がった方がいいんじゃないか?」
などと悩んでいる方がいらっしゃったら、
そのまま、その悩みを先生にぶつけてみたらいいと思う。