なかなかに難しい

一度上がった生活レベルは下げられないとよく言われる。
もし収入が減ってしまったなら、生活レベルは下げた方がいいと思う。
しかし、知的レベルや学ぶ意欲レベル、あるいは精神レベルについては、
もう少しナーバスな問題だと思っている。

例えば、小学校において、
まだ教わっていない漢字を書いてはいけないという指導があるという。
あるいは、授業で扱っていない(教科書の)文章を勝手に読んではいけないとか、
教えていない解き方を使ってはいけないとか…こういう指導があるそうだ。
こういったことに対して、学校の授業がつまらない、退屈だなどと言おうものなら、
ものすごい反発というか、お叱りを受けることがある。
公教育では協調性を学ぶのだ!自分ができるからとそれを鼻にかけるな!
つまらないと思うのは生意気な態度だ!とまで言われることがある。

確かに、発言を求められてもいない場面で、
勝手にネタバレのように、知っていることを話し出すのはよくない。
だが、手を挙げることや発言を求めておいて、そこでさらに、
先生の意図を汲んで答えのレベルも合わせないといけないというのは、
はたして本当に必要な学習なのだろうか。

 

中学受験を選択するご家庭に対してであれば、
こういう指導のおかしさについての説明は不要だろう。
ピアノは学校で教わっていなくても弾いてよいし、
むしろ、上手に弾けることで尊敬を集める。スポーツもそうだ。
なのに、物知りなことや、興味・好奇心を止められないことはたしなめられる。
リフティングを何回もできるのは、かっこよくて、
興味があって知っていることを話すのは「ひけらかし」だと嫌がられる。
自慢だ、偉そうだ、気が利かない、優しくないと言われ、
自分を抑えて周りに合わせることが、無難に生きていくコツだと学習させられる。

だが、これは小学校や公教育のときにだけ起こるものでもない。
一般的に、女子の方が男子よりも早く精神的に成長すると言われている。
それで、男子の会話や遊び、夢中になっていることを見て、
「くだらない」と思ったことのある女子、女性は多いと思うが、
こう思ったことは、小学校時や公教育のときだけではなかったと思う。

一方で、では、女子はいつでも精神的にオトナかというと、そうとも限らないと思う。
例えば、自分は落ち着いて読書をしたい。
今、はまっている『ドストエフスキー』についてなら語りあいたい。
だが、周りの女子は、アニメの話かアイドルの話しかしていない。
こういうときに一人でいることを選ぶと、また、後ろ指をさされたり、
あらぬ噂を立てられたりするから、自分を抑えて周りに合わせる人もいるだろう。

私立の中学に通おうが、名の知れた大学に通おうが、
会話のレベル低っ!とか、ガキっぽい!とか、ガッカリすることはある。
まぁ、どこにいったって、いつの時代だって、人生そんなもの!
と言えば、きっとその通りで、多少の諦めや妥協は必要なのだけれど、
そして、そこに通うことになっている時点で、
自分もその中の1人であるという感覚も少しはあった方がいいと思うけれど、
しかし、違和感を抱えているのに、周りに合わせ続けることが良いとも思えない。