選択肢の問題で、答えをアにしたが、それが不正解だった場合、
勉強にきちんと向き合おうとしている子なら、改めて問題を読んで考え直す。
たとえ答えがアとエの2つに絞れてあったとのだしても、すぐにエにはしない。
もう一度、読み間違いがないかと確認するに違いない。
だが、その問題を終わらせることだけが目的になってしまっていると、
考え直すことも読み直すこともせずに、別の答えを書き直す。
そしてまた、その答えが不正解だったときには、再度違う答えに書き直す。
選択肢の問題なので、数回繰り返せば正解に必ずたどりつく。
当然、このような態度で勉強ができるようになるはずがない。
だが、上のようなことは、算数でさえ起こり得る。
過去にも何度か書いている「植木算」を例に挙げてみよう。
「60mの道の端から端まで21本の木を等間隔に植えたい。木と木の間は何m?」
この問題は、木の本数が21本だから、木と木の間(の数)は21-1=20か所。
よって、60m÷20か所=3m と解いてほしいのだが、
算数を苦手とする子は、60÷21=2.85…
あれ?割り切れないな…と思いながらも、答え2m と書いて提出してくる。
求めた答えが何か変だな?と思ったとしても、まぁいいやで終わりにする。
さらに、先ほど述べたようなタイプの子は、その答えに丸がつかなかったことで、
例えば、2+1=3 答え3m と書き直して持ってくる。
植木算で+1だか-1だかをした気がするという記憶があるからかもしれないが、
これで答えに丸がついたところで、この勉強法では、
選択肢の問題で、アがダメならイにしてみる作戦と変わらない。
しかしこれが、平たく言えば、勉強を苦手とする子の特徴なのである。
問題をよく読まない。問題文がちょっとでも長いと、それだけで気持ちが折れる。
そして、手を動かすこともない。
図を描いてみればイメージできるかもしれないのに、それを面倒くさがる。
頭の中だけで考えているというより、
パッと見て答えが「わかる」問題はヤル気になる面白い問題で、
そうでない問題は「わからない」問題、「できない」問題に分類する。
それで、白紙のままにしておくか、適当に答えを書いておしまいにする。
変な言い方になるが、こういう状態の子を教える場合は、
「答えなんかどうでもいい!から、図と式を書いて見せて!」という指導になる。
答えが合っているかどうかを評価基準から除外したので、
子どもは正しい図や式を書くことに注力するしかなくなる。
冒頭の選択肢の問題で言えば、他の選択肢のどこがいけなかったのかを聞くことで、
根拠を考えるという頭の使い方を練習させられる。
大切なことは、その問題に丸がつくことではない。
その問題をどう考えたかの方が、はるかに重要なのである。
適当な答えを書いて解答欄を埋め、
間違えていた場合は、赤ペンで正しい答えを書いて終わりにしたり、
答えを何度も書き直して丸がついたところで終わりにしたり…
という学習法は、勉強とは呼べない。
勉強している風の「やっつけ勉強」でしかない。