小学生のうちに勉強する意味②

それにしても、この「やっつけ勉強」を、子どもたちは
一体どこで、どのタイミングで身に着けてしまったのだろうか。
そして、もっと肝心なのは、「これからどうしていけばいいのだろうか?」

アと書いて丸にならなかったから、イにしてみる。
答えを2mと書いて丸にならなかったから、3mにしてみる。
問題文を丁寧に読むこともなく「わからない」と決めつけ解答を見る。
あるいは、自分の求めた答えが(答え合わせの際に)間違っていたのに、
解答を確認した後、正しい答えに書き直して丸をする。
こういう取り組み方をする子に対して、そういうことをしてはいけない!と教え、
正しい勉強法に矯正していくことが必要だと考える。

 

だが、これを実際にやらせようとすると、
やらせる方にも、かなりの労力というかエネルギーというか、
根気というか、ときには菩薩のような心が必要となる。

問題を読む習慣のなかった子、考える習慣のなかった子でも、
先の間違った取り組み方でなら、課題を必ず終わらせることができた。(←ここ重要)
しかも、解答を持っていれば、さっさと終わらせることもできた。
しかし、正しい勉強法を要求すると、そうはいかなくなる。
すると、課題に取り組む時間は当然長くなる。
終わらせられていた(はずの)課題が終わらないどころか進まなくなる。
子ども自身ももちろんストレスを抱えるので、取り組む姿勢が悪くなる。
この状況に、(やらせる方も)どこまで耐えられるか。

せめて〇時間で終わるとわかっていれば、その後の予定も立てられる。
これが終わったら、ご飯を食べさせて、お風呂に入らせて…何時には寝かせられる。
そうしたら、ようやく自分の時間が持てる!という風に。
しかし、やっつけ勉強しかやったことがない子が、
初めて正しい勉強法で取り組もうとしているのである。
しばらくの間、そんな予定通りに進むことなんてない。

ここで「まだ終わらないの?」とか、「こんなに残ってるの?」などと
子どもを責めるように、焦らすように声をかけようものなら台無しである。
(正しい勉強法より)以前の勉強法に戻したい!と思うことだろう。
大体、こういう声をかけてしまう理由は、えてして大人の都合である。
(自分の)予定が立たないことへの焦りだったり、イライラだったりである。
こうやって思考する時間や、心の余裕を奪ってきたから、
子どもがやっつけ勉強を身に着けた可能性さえあるのではないか。

だが、そんなにずっとは待っていられない。
だからせめて、初動を早くしてほしい!と願い、子どもにそう伝えるが、
しかし、それも大人の都合。子どもは思ったようには動かない。
段々と、言う方も言われる方もイライラしてくる。
そのうちやらせる方に我慢の限界が来て、
「中学受験は無理なのではないか」「向いていないのではないか?」
と考えるようになるかもしれない。