家で親が算数を見なくてもいいように、
そして、どうせ勉強するなら正しい方法(解き方)で解けるように、
さらには、家だとついついダラダラした勉強をやりがちだが、
そうではなく、短い時間で集中してやれるように…
というのが演習の意図するところである。
しかし、なかなか帰れない子の場合、子どもも子どもで知恵を働かせて、
「今日はこの後、大事な用事があるから早く帰らないといけない」
「今日は〇時に帰ってきなさいってお母さんが言ってた」
と、それらしいことを言う(嘘をつく)ようになる。そういうときには、
「お母さんかお父さんから連絡してきてもらえる?」と言うのだが、
すると、「お母さんもお父さんも仕事で電話できないって言ってた」
と、こういうことも言うようになる。
こんな知恵を働かせる暇があったら、覚悟決めて解けばいいのにと思うけれど、
どうやらそれとこれとは違うらしい。
とにかく、泣きながらでも、できる限りのことを塾でやった結果、
塾に来たときよりもできることが増えた状態で帰れる。
家でも復習はしてきてほしいけれど、それをやっていなかったとしても、
その場で勉強した分、確実に力をつけて帰れる。
火事場のクソ力のように、追い詰められたことで、
脳の引き出しを自ら開けようと試みるようになる。
そしてさらに、演習で遅くまで残されることのないようにと、
授業をもっとちゃんと聞くようになって、適度に復習をするようになれば、
必然的に力が着く。吸収力も応用力もついてくる。器が大きくなる。
4年生の頃は、お迎えに来てくれたお母さんの顔を見るなり
ホッとして、抱きついて泣いていた子もいた。
帰りの車の中で泣きじゃくっている子もいたと聞く。
だが、そういった子でも、5年生になる頃には、
「どうやったらもっと早く演習を終われるようになる?」
と相談にきたりするようになる。
その時点で、まだまだ色々足りていないことがあったとしても、
随分と強くなったなぁと感心する。
コロナ禍になって、塾でなるべくご飯を食べなくて済むようにしたので、
遅くまで生徒を残すことができなくなった。
時代や社会の変化に合わせた結果なので、それはそれで仕方ないが、
その分、強制力は弱まったと言える。
強制ではない形で、例えば声かけだけで、
やろうとする意識をどこまで持たせられるか。新たな課題である。