教えることの難しさ②

僕は、その初回の顔合わせの時点で、挨拶もほどほどにして指導に入っていたが、
二番目の難しさは、そのときに何を質問されるかがわからないので、
事前に何の準備もできないということである。
(ここでも家庭教師は完全アウェイである。)

その子の通っている塾のテキストから質問されることもあれば、
その子が使用している問題集や、過去問からの質問のこともあるし、
週末のテストで出題された問題について聞かれることもある。
その際、その初見の問題をその場で解き切る力も必要であるが、
それを目の前の子に、どう解説するか、ここが勝負の分かれ目である。

 

答えを出すだけなら、そんなに難しいことではない。
難しいのは、どの方法で、どこまで教えるかを、
初めて会ったその子の力をその場で見極めて、判断しなくてはならないことである。
また、その子の通っている塾の(先生の)教え方に沿って指導することも大事だ。
その塾の(先生の)教え方が、センス悪いなぁ、優しくないなぁ…と感じたとしても、
僕の解き方の方が!などとやってしまっては、子どもが混乱してしまう。

このときに重要なのは、なによりも「わかりやすさ」であると思う。
その子の「わかった」を引き出せるように、
しかし、悪い意味で家庭教師慣れしている子などは、
わかっていないのに「わかった」と言ってやり過ごすクセがついているので、
そうはならないように、丁寧に教える。
本当にわかったときは、どんなに疲れ果てた表情の子でも、
ほんのちょっと笑みがこぼれたりするので、そうなるまで手を尽くす。

この指導を、ほどほどで済ました挨拶時や、
その後(指導中)も背中に感じ続けている鋭い視線を意識しつつおこなうのである。
お母さんは、我が子の表情や声のトーンで、あるいは後ろ姿だけでも、
その指導をどういう心持ちで受けているのか、大体わかるのかもしれない。
緊張していたり、家庭教師が来るのを拒んでいたりしていた子が、
少しでも「わかって」嬉しそうにしていたら、その変化に気付くのかもしれない。

 

こうして、子どもからもお母さんからも、お願いしてみようかしら?
と思ってもらうことができれば、採用になるわけなのだが、
まぁ毎回そんなにうまくいくわけではない。
子どもの心が固く閉ざされ過ぎているときなどは、
お母さんのことはそっちのけで、子どもの指導に集中するのだが、
ついつい盛り上げ過ぎて、お母さんの信用を得られなかったこともある。

僕が採用にならなかったある御家庭では、
「あの先生(僕)はふざけすぎ!」
とお母さんから言われて、他の先生が担当することになったが、
その子は最後(受験が終わる)まで、
「あっちの先生(僕)が良かった」と言ってくれていたそうだ。
お母さんに信用されなかったので失敗談ではあるが、
少しだけ嬉しいような複雑な気持ちであった。