その昔、東大の授業で、先生が教室に入ってくるや否や、
黒板に〝愛〟と一文字書いて出ていった(授業を終えた)ことがあったそうな。
その残された一文字を見て、当時の東大生は何を思い、何を考えたのだろうか。
何の授業だったのかもわからないが、答えを出させたい「問い」ではないと思う。
答えが無くていいし、そこに至る過程も人それぞれでいい。
好きなように考えて!あるいは感じて!という、
投げっぱなしの「問い」だったのだと思う。
席に座ったまま、静かに「愛」について考えた人もいただろう。
隣に座っている人と「愛」について語り合った人もいたかもしれない。
教室から出て、歩きながら「愛…」と、ボソっとつぶやいた人もいたかもしれない。
「愛」する誰かを想って、その人に急に連絡をした人だっていたかもしれない。
「愛」にも色々ある。「愛」というと、
『 I love you 』の「愛」だけを思い浮かべる人もいるかもしれないが、
家族のことを想う気持ちも「愛」だと言えるし、
仲のいい友達や、尊敬できる先輩に対する気持ちだって「愛」だろう。
もっと言えば、自分を大切にすることも「愛」だし、
会ったこともない遠くの土地や異国の地に住む人たちのことを憂慮し、
思いやる気持ちも「愛」だと思う。
昨年、サーパスの生徒に3月11日生まれの子がいることに気が付いた。
(話を)聞けば、昨年のその日は、給食で出るはずだったお赤飯が
急遽違うメニューに差し替えられたのだという。
多方面に配慮した結果なのだろうけれど、
ずっと悲しい顔をすることがいいことだとは思わないし、乗り越える必要もなくて、
楽しいこと、嬉しいことがあったら、喜んでいいと思う。笑っていいと思う。
私たちは、たまたま、本当にいくつもの偶然が重なった結果、
みんなとご縁を持てただけではあるけれど、
お節介と言われようと、余計なお世話と言われようと、
そして、「愛」なんて言おうものならキモイ!と言われるだろうけれど。
みんなの幸せを願っています。