2003年の流行語にもなった大ベストセラー『バカの壁』(養老孟司著)は、
こんな話から始まる。
『ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、
北里大学薬学部の学生に見せた時のことです。
(中略)
ビデオを見た女子学生のほとんどは
「大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました」という感想でした。
一方、それに対して、男子学生は皆一様に
「こんなことは既に保健の授業で知っているようなことばかりだ」という答え。
同じものを見ても正反対といってもよいくらいの違いが出てきたのです。
これは一体どういうことなのでしょうか。
同じ大学の同じ学部ですから、少なくとも偏差値的な知的レベルに男女差は無い。
だとしたら、どこからこの違いが生じるのか。
その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。
(中略)
女の子はいずれ自分たちが出産することもあると思っているから、
真剣に細部までビデオを見る。自分の身に置き換えてみれば、
そこで登場する妊婦の痛みや喜びといった感情も伝わってくるでしょう。
従って、様々なディテールにも興味が湧きます。
一方で男たちは「そんなの知らんよ」という態度です。
彼らにとっては、目の前の映像は、これまでの知識をなぞったものに過ぎない。
本当は、色々と知らない場面、情報が詰まっているはずなのに、
それを見ずに「わかっている」と言う。』
この場面では、たまたま男女の違いを比べているが、
『バカの壁』は、男女の違いを考察したい本ではない。
当ブログを書いている僕も、男女差についてではなく、
「与えられた情報に対する姿勢の問題」について述べたい。
平時におこなわれる学校や塾での授業は、一回性のものである。
もう一度説明してください!と言えないことも無いが、基本的には、
その場限りのものとして、集中して聞くことが求められる。
しかし、これは口で言うほど簡単ではなく、優秀な人でも、
全てを聞き漏らさずにおぼえる、理解する、ということは難しい。
だから、メモを取りながら聞くなど、工夫をするわけだが、
話を聞きながらメモを取るというのも、
訓練しないと最初はなかなかうまくいかない。
さて、2020年春、学校の休校措置が取られた。
そして、その間、塾等でも映像授業を取り入れるという試みがあった。
この映像授業は、上に書いたような難しさを取り払えるのではないか、
そういう期待があった。
すなわち、一回で聞くという力が弱くても、
繰り返し見て(聞いて)、繰り返し学び直せることで、学力をつけられる
と期待したのである。
ところが、現実はどうだったかというと、ますます学力差は開いたと感じられる。
もちろん、映像授業が悪いのではない。
それを活かせるかどうかは、結局、見る側の意識に委ねられてしまう。