詰め込み教育による落ちこぼれを防ぐため、学習内容と学習量を大幅に減らし、
その空いた時間では、「ゆとりと充実」をテーマに「生きる力」をつけさせる。
これが俗にいう『ゆとり教育』である。
この時、掲げた理想が間違っていたとは言わないが、
この理想が実現するかどうかには、学校の持つ教育力、あるいは、
教員一人ひとりの力が大きく関わってくる。
ゆとりができたことで、次々とアイデアを思いつける先生と、
自由な時間を与えられると、何をしていいかわからなくなる先生とでは、
その「ゆとり」を充実させられる度合いが大きく変わってしまう。
少し話が横道に逸れるが、
ある大手塾のテキストは、問いと解答解説が充実しているので、
講師経験の浅い、大学生のアルバイトでも、(講師経験ゼロの親御さんでも)
マニュアル通りにテキストを進めることで、授業の体をなすことができる。
しかし、別の大手塾のテキストは、
問いと解説を、わざとか!?と思うくらいに不親切に作ってある。
自塾のノウハウを盗用されたくないからなのかもしれないが、
このテキストで授業を成立させるには、ある程度の力量が必要である。
要するに、良い先生はどんな条件下でも良い授業をできるが、
力の足りない先生には、システムがあって、マニュアルがあった方が良い。
とにかく「ゆとり」を大切にした教育は成功しなかった。
この教育を受けた世代は、学力低下が不安視されただけでなく、
上の世代から『ゆとり世代』と揶揄されるようになってしまった。
しかし、『ゆとり世代』などと言われてしまう責任は、
この制度を決めた人たちにあるのであって、その世代にあるわけではない!
と、僕は思っている。
『ゆとり教育』が始まった頃はまだ『ゆとり世代』という呼称はなかったが、
目の前にいる子どもたちが、学力を理由に軽んじられることのないよう、
それまで通り、ちゃんと勉強させておいた方がいい!と僕は考えていた。
(実際、中学入試の問題は、「ゆとり」に合わせて簡単になどならなかった。)
で、何を言いたいかというと、
今現在の状況下で、命や健康を最優先すべきなのは当然で、
それ以上に優先すべきものなどあるわけがないが、
それらを脅かさないレベルで、勉強をちゃんとしていた方がいい、と僕は思っている。
休校で授業がおこなわれない可能性はまだまだある。
その責任は、子どもたちの世代にはない。
だけど将来『〇〇〇世代』と、心無い言われ方をする可能性もあると思う。
小学生も中学生も、もちろん高校生も。