「合格したのだから、最高峰の教育を受けるべきだと思います」
先生のその言葉が、進学先を決めかねていた母に、
大学進学だけを考えて私学に進ませようとしたわけではなかったと、
“初心”のようなものを思い出させてくれました。
勉強についていけるのか、
(超)気が強い(であろう)女子たちの中でやっていけるのか、
不安はありましたが、先生のその言葉の裏には
「大丈夫ですよ」という意味もあると都合よく解釈し(笑)、
娘が4年生の時から憧れ続けた女子校は、
娘にとって「うちの学校」になりました。
入学式から2カ月半。
娘を通して見る“最高峰の教育”は・・・サーパスのようでした。
機知に富んだ先生方によるレベルの高い授業。
ひとりひとりに目が行き届いた指導。
宿題や小テストのきめ細やかな添削、
能動的に学ぶ姿勢を期待する課題
保護者会でも、
「“わかる”と“できる”の間にある高い壁を越えるには、日々演習を重ねることしかない」
「国語の勉強で大切なことは、音読と意味調べ。
家庭での(よく吟味した言葉での)会話」
「テストは点数や平均点(順位を公表しない学校なので)を気にするのではなく、
不正解だったものは、なぜ間違えたのか、正解するためにできることはなかったか、
正解できたものでも、正解できたのはなぜか、他の解答の仕方はなかったか、
を考えることが大切」というお話がありました。
サーパスの父母会でも、同じようなお話があったと記憶しています。
そして“永遠の18才”の先生もいらっしゃるようで・・・(笑)
なんだかサーパスみたいだね?
毎日のように、そんな会話をしています。
そう、最高峰の教育は既にサーパスで受けていたのです。
4年生の初夏にサーパス生になりました。
それまで通っていた大手塾の過度の期待と優遇をプレッシャーに感じての転塾でした。
転塾先を探し始めると、
以前から読んでいたブログで出てくる“あの塾”と
前を通った時に窓に貼られた実績の素晴らしさと、
掲示が五十音順なのがいいなと思った“あの塾”と
“おもしろい塾”との評判を聞いた“あの塾”が閃きのように一致しました。
これがご縁というものなのだろうと思います。
体験授業の最初は佐野先生による国語でした。
母も参観させていただきましたが、
どこまで“読めている”のか確認する、大手塾のテストでは出ないような問いかけ、
子供たちを引きつけるおもしろいお話は、
入念な準備をしてくださっているのだろうと感じさせるものでした。
この授業だけで娘はサーパスにすると言うだろうと確信して、
次の算数は参観せずに、母は大手塾で退塾手続きを済ませてきました。
娘の感想は「あの先生の授業を受けなかったら一生の損だ」。(なんと生意気な(笑))
「そう思ってね、もう今までの塾は辞めてきた」
そう言うと、娘は弾けるように笑いました。
それから3年弱。
辛いことがなかったはずはないけれど、今はもう楽しかったことしか思い出せないと
娘は言います。
サーパスは受験勉強を通じて娘の視野を広げ、世界を彩り豊かにし、
解像度を上げてくださいました。
我が家には受験学年に大きな出来事が立て続けに起こりましたが、
サーパスの先生方は多くを聞かずにご理解くださり、
娘に対しては普段通りに、でもしっかりと支えてくださいました。
他の塾だったら受験に辿り着くことすらできなかったかもしれません。
「こういう練りに練った出題をする学校に行きたいよね。
こういう問題を解いてきた子たちと一緒に勉強したいよね」
そんな言葉をかけて、逆境ともいえる状況の中で、
娘の“意地”のようなものを引き出していただきました。
大手塾のような志望校別クラスに通うこともなく、
個別指導や家庭教師に頼ることもせず、
志望校に合格することができました。
サーパスには、その子のための指導がありました。
大手塾のように、どの学校に何名合格したか、ではなく
ひとりひとりの将来を大切に、真剣に考えてくださいました。
「日本一のとこ受けるんだから、楽しまなくちゃもったいないよ」
そう励まし、入試に送り出していただいた学校で、娘は充実した日々を送っています。
何かあればサーパスへ、と思えることが、娘にとっても親にとっても
大きな支えになっています。
サーパスに通わせられたことが、親ができた一番のサポートだったように思います。
本当にありがとうございました。
今後も頼りにしています(笑)