桜を見上げながらこう考えた。
君への想い、あふれ出る。
あなたの想いもほとばしる。
然しまとめて書こうとすると、
言葉にならぬ、もどかしさ。
7期生の受験が終了して早2か月。
「英語準備講座」も「読売ランドへの卒業遠足」もすでに過去となり、
新元号「令和」も発表され、
桜も盛りを過ぎようとしている。
それなのに、毎年綴っている「卒業生への言葉」を、ここまで引きのばしてしまった。
汗顔の至り。
ここまで伸びてしまったのには訳(言い訳?)がある。
お恥ずかしながら、7期生の特徴を一言で総括できなかったのである。
個々の想い出を綴れと言われれば、相当な字数を書けるはずなのに。(本当ですよ)
良心がちくちく刺されるように痛む
そんなある日、満開の桜道を歩いていると、一片の花びらとともに、
英語の準備講座中の、とある生徒の言葉が頭上から降りかかり、耳朶にこだまし始める。
「遊びたーい…」「まだ遊びたーい…」「まだまだ遊びたーい…」
受験から解放されてひと月足らずの頃に発せられたこのフレーズとともに、
7期生全員が脳裏に呼び戻され、その表情が重なり合い、皆が「遊びたーい」と輪唱を始める。
「さまざまの/こと思い出す/桜かな」と芭蕉は詠んだが、
それにしても一体何なんだろう、この想起の仕方は…
すると、不思議なことに、7期生を総括する一言がふと脳裏をかすめた。
「子どもらしい子ども」
単純明快ではあるが、7期生については、この一言に尽きるのだと直感した。
「子どもらしい子ども」
受験学年になっても、受験生とはお世辞にも言えないような「幼さ」が各所に垣間見られた7期生。
誰彼構わず、最後の最後まで、心配で心配でたまらなかった7期生。
しかしながら、「遊びたーい」との一言は、人知れない忍耐と努力があったが故の
「雄たけび」だったのだろうと、今更ながら実感している。
きっと闘ってたんだなあ。
きっともがいていたんだなあ。
そんな「子どもらしいこども」には「遊び」が似合う。
辛いことでも「面白さ」と感じられる「遊び心」を失わないでほしい。
「子どもらしいこども」には「冒険」が似合う。
『十五少年漂流記』のように、「模範解答」のない時代の荒波に思い切り挑んでほしい。
「子どもらしいこども」には「勇気」が似合う。
新たな人間関係に臆することなく、堂々と「自分の言葉」で己の道を切り開いてほしい。
「子どもらしいこども」には「希望」が似合う。
くよくよせずに、楽観的に前へ進んで、大いなる絆を結んでいってほしい。
「子どもらしい子ども」には「未来」が似合う。
「令和」という大海にもまれながら、精悍さを露わにした「大人」へと飛躍してほしい。
最後に
7期生の皆さん、入学おめでとう!
そして、ご父母の皆様方、お子様のご進学を心よりお祝い申し上げます。