言葉足らず

1993年のことである。

アルバート通り(日本で言う銀座四丁目のような場所です)をぶらついていたら、

こじんまりとした果物屋が目についた。

買い物は億劫ではあったが思い立ったら吉日との思いで

店内に足を踏み入れることにした。

ところで、買い物が「億劫」というのはどういうことか?

それは当時、ロシアの買い物の仕方は日本とは大違いであったことに因る。

まさに旧ソ連式。

まず、棚に陳列されている品物を見定め、購入したい品物が決まったら

売り場の店員に伝票を書いてもらい、その金額をレジで提示して支払う。

そこで伝票に判を押してもらったら、もう一度売り場に戻り、

店員に伝票を見せるとようやく品物を手にすることができる。

現在のロシアでは、日本のスーパーのように、品物をカゴに入れて

レジで会計を済ませることが出来るが、

当時のロシアには依然として旧ソ連式が息づいていたのだ。

ただ、旧ソ連当時と違っていたのは「品数」である。

旧ソ連時代は、国営の商店は常に品不足に見舞われ、

店先には長蛇の列が続いていた。

たとえ気温がマイナス20度であっても

ロシア人たちは1〜2時間は平然と並び続ける。

この光景にはさすがに驚嘆した。

かのナポレオンとヒトラーに打ち勝った精神は、この忍耐力にあるのであろう。

そこで私も何度かこの長い行列に並んでみた。

「ザチェム・オーチリチ?(何の行列ですか?)」

というロシア語は真っ先に覚え、

時には何の行列かも分からないまま並んだこともある。

何も分からぬまま小一時間並んでようやく手にした品物は

何と「アイスクリーム」という笑い話のような本当の体験もしたのも

今や昔の良き思い出である。

(厳寒のロシアで食べるアイスは超美味です。)

さて、果物屋に入った私は

とりあえずグレープフルーツを3つだけ買うことに決めた。

場所はアルバート通りである。

あまり手荷物がかさばるのは好ましくない。

早速、ソ連式の手順で購入手続きを始める。

ロシア語で「3」は「トゥリー」だ。

3本の指を店員に示しながら私は「トゥリー」と話しかけると、

いかにもロシア的な店員が「トゥリー」と鸚鵡返ししてくれた。

意思疎通に満足した私は気をよくしてレジで金額を支払い、

再び店員のところに戻り伝票を手渡した。

すると、先ほどのロシア的な店員は棚の方に振り向き

グレープフルーツを1つ2つと…あれ?何かが違う?

ロシア的な店員は3つを通り越してもさらにグレープフルーツを積み上げている。

私は恐る恐る「トゥリー」?と確認した。

するとロシア的な店員は無表情で「トゥリー」と回答するではないか!

一体どうなっているのだ?

しかし、その理由はすぐに解決した。

ロシアの常識では「トゥリー」と言うと3個ではなく3「キログラム」であったのだ。

自らの非常識の前になす術もなく、

私はアルバート通りを3「キログラム」のグレープフルーツと共に歩くしかなかった。

しかも、当時のロシアは皆マイバッグ持参が常識で、

日本のように紙袋などはもらえるはずもなかった。

その後、私がどのような惨めな姿でグレープフルーツを抱えて

アルバート通りを歩いていたかについてはご想像にお任せすることにする。

≪教訓≫

コミュニケーションの際には言葉を尽くして説明すべし。

察してもらえるなどとは決して思うべからず。