授業後に「この問題解けないのは心配だよぉ」と、ある生徒に言ったら、
「え?私のこと心配してくれてたの?初めて知った!」と言われたことがあります。
いやはや、反省しました。そんな風に思わせていたなんて。
自分が中学受験した時、お世話になった先生の中に両極端な先生がいました。
1人は、「おまえらのことが好きだ〜!」
と、暑苦しいまでの愛情を注いでくるタイプの先生で、
もう1人は、「好きだって言われないと人の気持ちを感じられないの?」
と、努めて素っ気ない態度を取り続けるタイプの先生でした。
(どちらの先生も、僕にとっては恩師と呼べる先生で、
僕はその影響を色濃く受けている気がします。)
本当に両極端な先生でしたが、愛情表現の仕方が違うだけで、
僕のみならず、塾生全員のことを
なんとかしてやろう!と思ってくれていたと思います。
またその塾には、2人以外の先生にも誰一人として
いわゆるサラリーマン先生はいらっしゃらず、
生徒の誰もが大事にされていたように思います。
というのも、僕は上のクラスにいさせてもらえましたが、
上のクラスだけ特別に目をかけてもらっていたわけではなく、
下のクラスの友達も、先生の横に張り付いては質問攻撃をしていたからです。
今でもその友達に会うと、当時教わっていた先生に本当に感謝しているので、
僕にとってだけでなく『いい塾』だったんだなぁと思います。
もちろん、その『いい塾』でも全員が第一志望に合格したわけではないので、
結果云々で言ったら、100%満足ではない人もいたと思います。
生徒は満足していても、そのご両親の中には不満のあった方もいたと思います。
ただ、例えば先の素っ気ない態度の先生に教わっていたとしても、
自分が「見てもらえていない」「愛情を注いでもらえていない」
と感じている生徒がいなかったのだとすれば、
その塾はその点で、やはり『いい塾』だったんじゃないかと、僕は思います。
教育がコンピューターではなく、生身の人間を通しておこなわれる限り、
違いが出るのは、結局のところ『人間性』とか『人間力』なんだよな。
と、ここ10年つくづく感じています。
「私のこと心配してくれてたの?」と言わせてしまった自分は、まだまだ全然です。
日々精進です。