机から鉛筆や消しゴムを落としてしまった時、
自分で拾うか、または手をあげて拾っていいかと聞くか、
おそらくかつてはその二択だったと思います。
しかし最近は「拾って!」と、大人に対しても当たり前のように頼む子がいます。
それどころか、ゴミを「捨てといて!」なんて頼む子もいる時代です。
大人は絶対に拾わない(捨てない)ということもないですし、
拾う(捨てる)ことが億劫なわけでもありません。
拾う拾わない(捨てる捨てない)だけの問題なら、
近くにいた大人が拾って(捨てて)あげてもいいのです。
ただ、なんでもやってあげることが子どもにとって必ずしもいいとは思えません。
少なくとも自分のために誰かが何でもやってくれると思ったら、
それは大間違いですよ。拾って(捨てて)もらえることがあったとしても、
それを当たり前と思ってはいけませんよ。ということです。
少し話がそれますが、お家で喉が渇いた時に、
お父さんやお母さんに「喉渇いた」「お茶(取って)!」なんて態度を取ったら、
昔なら怒鳴られたり、手が飛んできたりしたのではないでしょうか。
「近くにいたんだから取ってくれてもいいじゃん」と子どもが主張したところで、
「それは違う!そういうことではない。」というのが、かつてはあったように思います。
でも今はそれがない(少ない)から、
冒頭の例の時に「自分で拾いなさい」と言うと、
「ケチ!」と、落とした当人ではなく、拾わなかった人が悪いような態度を取る子が
出てくるのではないかと思います。
もちろん昔と今は違いますが、こういう状況になってしまったことも
「先生は偉い。」(内田樹著)
なんてことをわざわざ言わなければいけなくなった理由の1つかと思います。
話を戻しますが、逆に、先日女子トイレが汚れていたらしいのですが、
そこにたまたまそのタイミングで入った子が、
「汚れてたから、ふいといたよ!」と掃除してくれました。
トイレのような綺麗ではない場所を、でも自分も含めみんなが使うところだからと、
気づいて綺麗にしてくれたのは素敵だなと思います。
みんなにトイレを掃除してくださいとは言いません。
でも、自分の使った机の周りくらいは綺麗にしてくれてもいいのに!って思います。
職員室の机で勉強してもいいですが、
消しゴムのカスを散らかしっぱなしだったりすると、
とても寂しい気持ちになりますよ!