受験を終えた6年生の英語の授業が今日で終了した。
5年生の頃から2年間、国語と社会を担当してきたこともあり、
最後となる今日の授業では、切なさともやるせなさとも言えない、
何とも言葉にはならない気分であった。
語りたいことは山積していたが、
その一かけらも伝えられずに終わったような気がする。
英語はこのひと月で、
be動詞と一般動詞、疑問詞、名詞の複数形、人称代名詞変化、月と曜日
と私立中学で経験するであろう膨大な学習量をハイペースでこなし、
心の準備をさせたつもりだが、
語学の要は「日々の継続」にある。
中学入学前も間断なく英語学習を続けてほしいと願っている。
語学で躓いた中高6年間は辛いものだ。
勉強面もさることながら、今日でお別れとなる生徒たちの今後の歩みも気になる。
新たな環境に溶け込めるだろうか。
試練をチャンスととらえて乗り越えるだけの強い心を持ち続けられるだろうか。
しかし、今となっては生徒たちにはエールを送ることくらいしかできない。
そこで、旅立ちの生徒たちに次の詩を送ってエールとしたい。
今電車の同じ車両に乗り合わせてもきっと君を知らなかったはずだ。
お互いに声をかけず、
お互いに目も合わせずにいただろう。
でも、今、自分は君を理解している。
君も今では自分を分かっている。
君は気づきかけているはずだ。
「今」とは過去と未来にはさまれた刹那なのだということを。
過去には忘れえぬ原点が刻まれ、
未来には限りない希望が広がっている。
そして、その狭間に「今」がある。
ところで君よ!
いったい「今」には何があるのだ。
原点もなく、希望もないではないか。
一切は濁流のように流れ去っていくだけではないか。
でも君よ。
そんなに嘆くことはない。
なぜなら「今」には「生」そのものが存在しているのだから。
「生」だけは過去にも未来にも所属できないのだから。
「今」とはきっと「生きる」ためだけに設けられた広場なのだ。
君は忘れないはずだ。
今を生きるということの意義を。
かけがえのない一瞬一瞬の「出会い」の大切さを。
そして、人生の数多のめぐり合わせに対する感謝の気持ちを。
風が吹いている。
さあ、今を思い切り生きてやろう。