育児・教育ジャーナリストであり、心理カウンセラーである、
おおたとしまささんをご存知だろうか。
「中学受験という選択」「男子校という選択」「女子校という選択」など、
中学受験に関する本も書かれているので、
中学受験をお考えのご家庭であれば一度は目にした名前かもしれない。
そのおおたとしまささんは、BRASH BLOG 「Father’s Eyes」の中で、
大阪の民間人校長が不祥事を繰り返していることに対して
以下のように述べている。
「学校は、長い時間をかけて成長する生き物。
動的平衡を保ちながら、少しずつ変化する生き物。
伝統校を取材した経験からそう断言できる。
私立名門校もそうだが、特に地方の公立の名門校というのは、
江戸時代の藩校から脈々と受け継がれた学校文化の上に成り立っている。
学校は、生徒を集めて、
そこで教科書に書いてあることを読んで聞かせる”ハコ”ではない。
長い年月をかけて形成された文化を伝承する場所だ。
私はよく、学校を、醤油や味噌や酒の蔵元にたとえる。
良い蔵元には、建物自体に家付き酵母というのがすみついていて、
それが醤油や味噌や酒の味を決める。
同じ材料と同じ製法でつくっても、蔵元が違うと同じ味は出せない。
学校はそういう空間。
3年おきに入札か何かをして、今年まではA社、
来年からはもっと安く”同程度”の教育をするといっているB社に変え、
「これで教育予算が削減できた。めでたしめでたし」
というような方法では、学校文化は育たない。
教育という営みをなめるのも、いい加減にしてほしい。」
と述べている。
また、違う回のブログもご紹介したい。
「教育の制度をつくるのは政府の仕事だが、
教育の中身を作るのは政府の仕事ではない。
教育の中身をつくるのは、その時代に生きて、次世代のことを思う、
多様な「人々」である。そういう人々のことを「教育者」という。
今の世の中に多様な教育者がいれば、
次世代の社会はより多様で弾力性に富んだ社会になる。
決められたマニュアルに従って、決められた教科書を読んで説明することは、
本来の意味の教育者の仕事ではない。
(中略)
政治が教育に口を出すようになると、
自ずと現体制にとって都合の良い価値教育・施策が投じられるようになる。
教育される側が自覚的にそれに抗うことはほとんど不可能に近いくらい難しい。」
「私は仕事柄、名門校という学校を取材することが多い。
先生たちは口をそろえて言う。
「この学校の教育の価値が分かるまでには、卒業してから20年から30年はかかる」
たしかにそういうものだと思う。
「成績が上がった」とか「合格できた」とかいう
目先の成果ばかりを追う教育だけを受けていると、広い視野は養われにくい。」
参考
日本最大の教育危機は大阪にあり
教育は、「今の政府のもの」ではない
投票率の低さは、教育の「結果」