『私は大学生のとき、先輩の学生とある講演会を聞きにいったことがあった。そのとき、講演がつまらないものに思われて、その先輩に「たいしたこと言ってませんね」とつまらなさそうな顔をして言った。そうするとその先輩は私に「そんな姿勢で話を聞いてはいけないよ。どんなつまらなさそうに見える話でも、こちらの姿勢しだいでは学べることがあるんだ」と言って私を諌めたのだ。
若い私は、このことばになるほどと思うとともに、瞬間ガーンときたのを今でも覚えている。そうか、こちらのアンテナの立て方で、ちょっとした体験からもたくさんのことを学べるのだと、そのときとっさに悟ったのだ。ひょっとしたら、上手に生きる人というのは、小さな体験から本質的なことをも深く「学び」とれる人なのかもしれない。生きることは「学び」の質や深さに支えられる面があるのだ。』
汐見稔幸「『学び』の場はどこにあるのか」
「勉強は自分のためにやるものだよ。
別に○○が勉強をしなくても、先生は困らないんだよ。」
なんて話をすると、
「えぇ?僕たちの成績が伸びないと、生徒集まらないんじゃないの?」とか、
「お金払ってるんだから、それじゃダメでしょ!」なんてことを言う子がいる。
しかも学年に一人は必ずいる(笑)。
反抗期の中学生や、世の中知っちゃった風な高校生ならまだしも、
小学生でもこんなことをサラッと言えてしまうことに、
毎年のことなれど、一体どこでこんな発想を身につけてしまうのだろうと驚かされる。
先生はエライなんて話をしたいわけではなくて、
誰にモノを教わるにしても、
教わる時にそこに謙虚さや敬意のようなものがないのだとすれば、
おそらくどんな優れた指導であっても身にならない。
もちろん、伝えたいことが伝わりにくい理由の1つに、
僕らと子どもとの年齢の開きが大きくなった
(おじさんになったとは、あまり言いたくない(笑))
ことはあるだろうが、それだけでもないように思われる。
社会的に、人をむやみに信じてはいけないという空気が強まった
影響もあるかもしれない。
(そしてそれがどこまで関係あるかはわからないが)
他に対して常に批判的な人が増えたようにも感じるし、
子どもの前でも構わず他の悪口を言う大人が増えたようにも感じる。
暴露本だとか教科書にはない歴史の裏話シリーズとか、
本当は怖いナンチャラカンチャラとか…
裏話は楽しいものかもしれないが、
何でも裏っ返しにすればいいというものでもない。
ただの興味や好奇心で知る必要のないところまで知りたがるのは下品だ。
という考え方すら、もはや古い考え方なのだろうか。
以前、縁あってお世話になった呉服屋のご主人(おじいさん)からうかがった話。
「着物は良いものだと数百万するものもある。だからそんなにめったに買えるものじゃない。それでも特別な記念日に着るためのものだったりするからこそ、高くても納得のいくものを買いたいのだと思う。そして私だって、その人に一番合う着物を着て欲しいと思う。高いものを売りつけてやろうなどとは思ってない。色々と注文をつけられたり難題を押しつけられたりしたら確かに大変なのだけれど、納得いく着物を選んでもらうためには、それはむしろ必要なことだと思う。
だけどたまに『こっちは客だぞ。金払ってやってるんだぞ。』って態度で買いにくるお客さんがいる。最終的に買ってくれればOKって話じゃなくて、お互い人間なんだからわざわざ嫌な気持ちにはなりたくないじゃない。そういうお客さんだと、逆にウチの着物を着て欲しくない!なんて気持ちにもなってくるよね。別にこの人に買ってもらわなくてもいいんじゃないかって。最後の最後まで文句や嫌味を言いながら買っていくお客さんって、自分では全く気づいていないんだろうけど、きっと色々と損しているように思うな。」
以前勤めた会社で新人研修を任された。
と言っても、実際は僕一人で全てを担当したわけではなく、
むしろもっと上の立場の人がおこなう新人研修を間近で見て、
そのやり方を学んで欲しいということだったので、
そういう意味では僕も研修を受けていたことになるのだろう。
研修に入る前の段階で、
「メモを取りながら聞く人と、そうでない人がいるから、よく見ときなね。」
と上司が僕に言った。
いざ研修に入ると、本当に2つに分かれた。
面白いことに、メモを取らない人の多くは、学歴がそれなりに高いとか、
自分に自信があるような振る舞いの目立つ人たちだった。
「メモなんか取らなくても覚えてられると思ってるんだよね。
もっと言うと研修をやる前から、研修をそんなに大したものと思ってないんだ。」
上司が初日の研修終了後に言った。
次の研修で初日におこなった研修のテストをすると、
そのメモを取らなかった人たちの多くは、
確かにちゃんと内容を覚えていて答えられていた
(この時点ですでに答えられないのにメモを取っていなかった人もいたが、
その人たちは今回のテーマ外なので省略する)。
しかしいざ研修が終わって現場に出なければいけなくなった時や、
(最初はうまくいっていても)途中で行き詰まったような時に、
研修でやった内容を確認すると、これも面白いくらいに研修内容を覚えていなかった。
どんなに頭が良い人でも忘れることはある。
忘れた時に「どうするんでしたっけ?」とすぐに聞いてくれるなら、
まだ手の貸しようもあるが、
自己判断でことを進められて事態が悪化したことは数知れず。
また、毎回毎回同じことを聞くくらいなら「メモしとけ!」と叱ることも数知れず…。
上司と部下や先生と生徒のような関係で、
相手への敬意や信頼の欠如から、
相手の言うことを最初から価値の低いものと思ってしまうことは、
心理学でも『プロセス・ロス』と呼んで
コミュニケーション上の損失であるとしているが、
伝えたいことが真っ直ぐに伝わらなかったり、
伝えたいことを素直に受け入れてもらえなかったりするのは、
本当にもどかしい。
会社であれば、新人がその研修で一人前の社会人に育たなければ、
その研修にあてた時間や費用、その研修を担当した人の時間や仕事など、
多くの面での損失が大きい。
また、逆の立場で考えると、
その新人もそこで自分にとってプラスになるものを学び取り
身につけることができなかったのなら、やはり多くの面で損失である。
「入社一年目二年目で、給料が安いとかああだこうだ言う人がいるけれど、何か新しいスキル(技能)を身につけるためには、普通お金を払ってスクールに通ったりするものだろう?今まだ社会人として未熟で、これから仕事を覚えていかなきゃいけない君たちが、一人前の社会人になるための研修を受けられて、しかもお金ももらえるなら、本来そこに不満を言うべきではなくて、感謝するべきだろう?」
先述の上司は、新人に向かってこう言った。
「時給750円のバイトがあったとする。頑張ろうが頑張るまいが750円なのだから、750円分の仕事で十分だと思っている人の方が世の中には多いのかもしれないが、そこでその給料以上の仕事をしよう!と思っている人の方が、世の中のためにもその人自身のためにもなるとは思わないか?」
これも、その上司の言葉である。
世の中知っちゃった風で斜に構えていたり、
わざと素直にやらずに天邪鬼になったり、
常に人の揚げ足を取ろうとしていたりするような姿勢では、
誰が損をするのかって、その人自身が損をする。
先述の呉服屋のご主人がおっしゃったように、
自分だけが気づいていない損をする。
自分で気づいていないんだから損じゃないじゃん!
なんて天邪鬼なことを思わないで欲しいと願う。