わかった気になるより、わかっていないとわかっていた方が…

他塾で教えていた時、もう少し正確に言えば、

割と大きな塾で教え始めた今よりも若かりし時に、

その塾のエライ人から

「お金をもらってる以上、わかって帰らせないと苦情が来る。

もちろん、全員が全員わかるわけないから、そういう場合は

わかった気にさせて帰らせるのも先生としてのテクニックの1つだよ。」

と言われた。

『授業の中で先生が問題を解いて、その解説を聞いている』だけで

学力が伸びていくような人を、僕は人生の中で1人しか知らない。

その彼は「え?だって聞いてればわかるじゃん!」と言っていたが、

僕はその彼がノートを取ったところさえ見たことがない。

記憶力に優れているだけでなく、

頭の中で瞬時に様々な思考を巡らせながら聞いていたのかもしれないが、

その能力は僕のような凡人には到底理解できなかった。

自分が普通だとは思っていないが(笑)、

聞いているだけで学力が伸びる人が普通だとも思えない。

だから生徒の学力を伸ばすためには、

一から百までわかりやすく教えればいいというものでもないだろうと考え、

問題を敢えて最後までやらずに授業を終えて、

自分でやって来ようと思ってもらえないかとか、

入試問題レベルのちょっとやそっとじゃ解けない問題を紹介だけして、

翌週までに少しでもチャレンジしてくる子がいないかとか、

そんなことをやっている時に、最初の言葉をかけられた。

まぁエライ立場の人からしたら、

こんな授業をされたら心配になるだろうなと理解はしたが、

難しい問題を解説まで聞いて、

「なぁんだ、そういうことか。」と納得しても、

それって本当に身になっているのかな?と逆に不安に思う。

それで、若気の至りで反論した。

「何でもわかりやすく解説まですることで、本当にできるようになりますか?」

そうしたら、「なる人もいるんじゃない?」と素っ気ない返事と

「できるようになるかどうかよりも、

あの塾の授業はわかりやすいと思ってもらえる方がいい。」

こんな返事が返ってきた。

自分のやり方、やらせ方が、万人に適しているとは全く思っていないし、

教えるクラスによっても相手によっても

変えなければいけないものはあるとわかった上で、

しかし、「わかった気にさせて帰らせる」のは、自分の中では完全なNGである。

「わかっていない状態で帰らせる」よりも罪が重いように思う。

できなかった問題はもちろんだが、

なんとなくわかった気もするけれど不安な問題、

○はついたけれども疑問に思う問題…そういったものを、

ただ答えや解説を聞いて(見て)わかった気になってスルーしていたら、

力は着かないのでは?と思う。

また、ここまで言っていいのかわからないが(笑)、

受験生でなければ目先の得点や偏差値にもこだわりすぎてはいない。

答えが合っているかどうかよりも、どう考えてどう解こうとしたかが大切である。

勘で書いたら合ってた!なんて、全くもって意味がない。

テストで白紙にしていたらもったいない!

勘でもいいから選択肢くらい全部埋めて来なさい!と言う人は多いが、

入試当日はそうであっても、普段の勉強でそんなことをする価値はない。

(テスト結果だけでクラスが決まる大手塾は仕方ないかもしれないが…)

確かにテストの結果や点数でしか、

力が着いているかどうかの判断はなかなかしにくいかもしれない。

ただ、今の時代はどこか結果を安易に求めすぎているというか、

すぐに成果が出ることを求めすぎというか、何だか短絡的な気がしてしまう。

答えがすぐにはわからないようなモノをじっくりやり続けるような、

そんな姿勢があった方が、長い目で見た時には強いのではないだろうか。