ちょっとした物語 (第2話)

それは、何のまえぶれのない、突然のことでした。

天にも届かんばかりに細長い筋が、小さな村人の住む村に

ゆっくりゆっくりと近づいてきました。

その筋は8本あり、ものさしで測ったかのように、等しい間をあけて

並んで立っているように見えました。

不意の出来事に、小さな村人たちはそれはそれは仰天しましたが、

時間が経つにつれて、いつまでも口をあんぐり開けたままでは

いられないことに気がつき始めました。

その筋の正体は「たつ巻」でした。

小さな村人たちは、未だかつて「積乱雲(入道雲)」など

見たことがありませんでした。

ですから、積乱雲とその下に垂れ下がっている8本の筋が、

何かしら巨大な生き物のように感じられたのです。

初めて目にする敵の襲来です。

ところが、村人たちはいくさなどしたことがまるでありません。

ただただおろおろし、仕方なしに住まいの中に深く深く穴を掘り、

水やら食料やら放り込めるものを手当たり次第に投げ込んだあと、

その中で身をひそめることくらいしかできませんでした。

「たつ巻」が村に近づくにつれ、風がじわじわと強まり、

やがてこの風は暴風に発達していきました。

小さな村人がもし道ばたに立っていたら、

木枯らしに巻あげられる枯葉のように

ヒュルヒュルと雲の中まで吸い上げられてしまったにちがいありません。

村人たちは、せっせとせっせと穴を掘り続け、

巨大な生き物が通り過ぎるのをじっとじっと待ち続けました。

巨大な生き物は、小さな村人の住む家も家畜も作物もすべて食べつくしたあと、

満腹になったその身体を「鼻の」高原にぶつけると、

まるで岩肌に吸い込まれでもしかたのように

すーっとその姿を消してしまいました。

小さな村人の村には何も残されていませんでした。

穴の中からはい出てきた村人の目に映ったのは、「砂」の山だけでした。

その砂は、「魔の山」から吹き降りてくる、あの赤茶けた色ではなく、

南国の海水浴場のような明るく透明な砂でした。

けれども、この珍事を目の当たりにした村人にとっては

砂の色などどうでも良かったはずです。

ただただ途方に暮れ、どっさり運び込まれた砂をかき出し、

穴の中から水と食料を取り出しては大きなため息をはーはーはくばかりでした。

さて、この「たつ巻」は小さな村人の住む村だけではなく、

高原の向こうの「巨人」村にも少なからず影響をおよぼしました。

この「たつ巻」が高原にぶつかり、その姿を消した日のことです。

いつもは高原に向かって吹き上げる西風がぴたりと止み、

いつもとは逆方向に高原側から東風が巨人村に吹き降りてきたのです。

私たちが地球の重力を意識などせずに日々暮らしているのと同じように、

巨人村でも風といえば西風であり、

「風」ということばの前に方角をつける必要などありませんでした。

ですから、風向きの変化は巨人村の人々にとっては

天変地異にも感じられるほど想像を絶した出来事でした。

次の日になると、風向きは何もなかったかのようにいつもの西風にもどりました。

けれども、巨人村の人々の間ではにわかにこんなうわさが

口伝えで広がっていきました。

「誰かが神聖なるララットに足を踏み入れ、

ララットを穢(けが)したに違いない。」

巨人村の人々は、「鼻」の高原を

「ララット」(「天にも届く高さ」という意味)と呼んでいました。

巨人村の人々は、高原の反対側に

「たつ巻」が衝突(しょうとつ)したことなど知る由がありませんから、

根も葉もないうわさがわきたつのも無理はありません。

村人たちは天罰を恐れるようになり、

お互いの行動に監視の目を光らせるようになりました。

こんなことは今までなかったことです。

不安と恐怖におののいている村人たちを「ルライ」氏はじっと観察していました。

そして、これから自分が何をすべきか、籐椅子に腰かけ、左手をほおに当て、

人差し指を第一関節あたりまで耳の穴に差し込みながら、

しばらく考えこんでいました。

「ルライ」氏だけは知っていました。

「たつ巻」のことも「風向き」の変化のことも…。

さて、この物語をお読みの皆さんは、いくつかの疑問をお持ちになったはずです。

それはきっと、「たつ巻がなぜ唐突(とうとつ)に発生したのか?」

そして、「ルライって何者?」といった類ではないでしょうか。

この物語を書いている私もかつて大いに疑問を抱きました。

しかし、今となっては残念なことに、

私だけがその謎めいた不思議な出来事の真相を知っています。

まあ、それはさておき、先を急ぐとしましょう。

天にも届かんばかりに細長い筋が、

小さな村人の住む村に「ふたたび」ゆっくりゆっくりと近づいてきました。

その筋は8本あり、ものさしで測ったかのように、等しい間をあけて

並んで立っているように見えました…。