2010年、原爆投下65年に合わせて来日した
国連事務総長の潘基文氏が被爆地の長崎市を
訪問しました。
国連事務総長が同市を訪れるのは初めてのことでした。
潘事務総長は正午すぎ、爆心地前で世界に向け
「強い確信と信念を持って立ち向かえば、
核兵器のない世界を実現できる」
と平和へのメッセージを発表しました。
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
9日には長崎にも原爆が投下され、15日に戦争が終わりました。
私は長崎生まれで、祖父母の家は爆心地から歩いていけるところにあります。
子供の頃から、長崎に帰省するたびに平和記念公園と原爆資料館には
立ち寄るようにしています。
冒頭の写真は、その平和記念公園の写真です。
「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
これを読むたびに、胸の奥が締め付けられるような気持ちになります。
原爆資料館は、バリアフリーで随分ときれいになりましたが、
訪れるたびに本当に苦しくなります。
以前、お墓参りで帰省した時に、
やはり平和公園と原爆資料館に立ち寄ったのですが、
その時来ていた子供が「怖い」とか「キモイ」とか言っていました。
ご両親も一緒に歩いていたのに何の反応も示さずにいました。
何らかの注意や教育的な言葉が両親からかけられれば…
戦争は二度としてはいけない!とか核は無くさなければいけない!
という気持ちが育てられると思うのですが・・・
なんだかとても悲しくなりました。
自分にできることは何だろうと考えながら資料館を歩いていたことを
今でも思い出します。
今年2012年には、太平洋戦争で広島、長崎への原爆投下を決めた
トルーマン元米大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんが
広島市内で被爆者と面談しました。
ダニエルさんは、原爆で母親らを失った岩佐幹三さんの証言に聞き入り、
「話を聞かなければ同じことを繰り返す。
(被爆の)話を分かち合ったことに感謝します」と神妙な面持ちで語りました。
ダニエルさんは「私が広島にいることを許さない人もいるかもしれないが、
米国に帰って核兵器をなくす活動を続け、
広島で会った被爆者の心に応えたい」と語っていました。
戦後65年たって、日本国内でも原爆のことをよく知らない世代が
増えてきました。
戦争の恐ろしさ、核の恐ろしさをきちんと知っていないから、
安易に「戦争すればいい」などと言う人も出てきました。
それではいけないと思います。
「戦争をしてはいけない」と正しく主張することは、
戦争を知らない世代であっても、日本人の責任であるように思います。