サーパスには、塾のオススメする国語辞典がある。
東戸塚校においては、4年生からの入塾が多数を占めるようになったので、
この時点で、そのオススメの辞書を買い揃えてくれている。
そして、授業中にもちょくちょく辞書をひかせるので、
入塾から数ヶ月もすれば、辞書をひくという行為が習慣化してくる。
知らない言葉があったら辞書をひくという、語学の学習において当たり前の姿勢が、
早い段階で教室内に定着する。
こういうところには、環境の与える影響が大きい。
例えば、サーパスに途中から入ってきた子でも、
周りのみんなが辞書を当たり前にひいていたら、
相当な天邪鬼か反抗期か、もしくは、勉強したくない!と思っている子でもない限り、
自然とそうしよう(辞書をひこう)とするものである。
そうして、辞書をひいているうちに、語彙が増えればしめたものであるが、
語彙が目に見えて増えなかったとしても、知らない言葉をスルーしていたときと、
知らない言葉を調べてみようと思っている今とでは、天地ほどの差がある。
言葉への興味が出ると、言葉を(今までよりも)大切にするようになり、
人の使う言葉にも、自分の使う言葉にも敏感になる。
ところで、(人が書いた)文章を読めば、それを書いた人がどんな人かわかる
という意味で、「文は体を表す」「文は人なり」などと言う。
作家のような名文を書ける必要はない。
だが、大学入試で何千字の文章(エッセイなど)を書かせるようになったのは、
長い文章を書かせると、その人の癖や性格、価値観や知性が
(書き方のテクニックで隠せずに)漏れ出てくるからだそうだ。
人は入試のために生きているわけではないが、
言葉を大切にしていると、入試でも役に立つのである。
さて、センター南校の5、6年生は、すべて転塾生である。
特に6年生は、入試まで残り1年ぐらいのところで入った子しかいなかったので、
上で述べた(東戸塚にはある)環境の効果を受けさせてあげることができなかった。
また、「辞書なんかひいたことない!」「辞書持ってない!」という子もいた。
国語(語学)の学習を、問題を解いて、答え合わせして、一応解説に目を通して・・・
で終わりにしていたら、まぁできるようにはならない。
英語の学習を想像してもらえばすぐにわかると思う。
声に出して読むこともせず、辞書もひかずに問題だけ解いて・・・
って、そもそもそれでは問題を解けるわけがない。
(先の)辞書をひいたことがなかった子も、辞書を嫌がらずにひくようになった。
その姿勢でいれば、まだまだ伸びる。
入試まで残りわずかだからと、面倒くさがって安直な方法を選ばないように、
楽をしないように!手を動かして、頭に汗かいたものが力になる!
