「友達と一緒に勉強してくる!」
塾など、教育業界に身を置く人なら、この言葉が大概
『絵に描いた餅』に終わることを知っている。
マンションの共有スペース、図書館、地区センター、自習室・・・
他人から見ても勉強しているとわかる人は、えてして一人で机に向かっている。
二人、三人で来ている人たちは、群れて楽しそうに過ごしている。
本を読んでいるとき、あるいはドラマやアニメを見ているときに、
誰かから話しかけられたら、普通、集中力は途切れる。
本であれば、もう一回同じところを読み直さないといけなくなるし、
巻き戻しのできるドラマやアニメなら、少し戻してもう一回見ることになる。
娯楽ですらそうなのだ。まして、娯楽ではない勉強なのだ。
家を出るときは、もしかしたら本当に勉強する気でいたかもしれないが、
勉強中に頻繁に話しかけたり話しかけられたりしていたら、はかどるわけがない。
進められた(ように思う)勉強もあるかもしれないが、
それが本当の意味で身についたかといえば、きっとほとんど身についていない。
勉強したつもりになっているだけで、厳しく言えば、時間を浪費しただけである。
わからないところを友達に教えてもらった。あるいは、聞かれたから教えてあげた。
こういうこともあると思う。
まぁ、受験など全く関係ないような、時間と余裕があるときなら良いと思う。
目的が勉強ではなくて、友人との親睦を深めることなら、こういうことも大事だろう。
だが、受験生ともなってくると、話は変わってくると思う。
クラスが同じでも偏差値が同じでも、目指している学校が同じでも、得意不得意は違う。
何か新しいことを覚えよう、理解しようとするときの勉強方法、勉強時間も違う。
純粋な体力、知的体力、集中力も違う。
色々と違うのに「一緒に」やろうとすると、足並みを揃えるための調整や妥協が必要だ。
自分にとって、本当に必要な勉強ができない。
これでは『切磋琢磨』できる関係とは言えない。
では、『切磋琢磨』できる関係はどうかというと、
相手のことを大切に想うからこそ、適度な距離を置く。これに尽きる。
一緒に自習室に来てもいい。
だが離れて座る。あるいは、お昼ご飯まではお互いに話しかけないと決める。
ご飯を食べるときや、行き帰りの時間だけ、
世間話や趣味の話、勉強の進捗状況、不安、愚痴を話し合う。
最後にちょっとキツイ話になるが、受験は甘くない。
友人だけが受かる、自分だけが受かる、二人とも受からない・・・
と、厳しい現実を突きつけられることもあるのが受験である。
どんな現実を突きつけられても、
「あのとき◯◯しておけば・・・」「◯◯しないでおけば・・・」
と後悔しなくて済むように、想像力を働かせて、やるべきことに注力してほしい。
