しかし、そうは言っても、信用できない相手を敬うのは難しいことだ。
謙虚に教えを請う「フリ」でもできたら最初は十分である。
もちろん、「フリ」であるうちは、大して成長しないかもしれない。だが、
謙虚に教えを請おうとしていると、姿勢が多少なりとも変わってくる。
そして、姿勢自体が変わっていくと、気づいた頃には成長している。
さらに面白いことに、そうして成長してくると、
相手の(今まで感じ取れなかった)凄さまでわかるようになる。
(まぁ、相手が実際凄くなかったときには、それもわかってしまうのだが・・・。)
別の例からも付け加えておきたい。
言葉を知らなければ、難しい文章は読めない。
忍耐力や、グッと入り込む集中力がなければ、長い文章は読めない。
文字から状況を想像し、登場人物の気持ちを推し量ろうとしなければ、
その力は育たず、漫画やアニメ、またはショート動画ばかりになるかもしれない。
こうして、年齢相応の本を読まない(読めない)子が出来上がる。
そして、「本なんてつまらない!」などと恥ずかしげもなく言えてしまうようになる。
だが、説明するまでもないが、本がつまらないのではない。
本自体に問題があるのではなくて、
本の面白さや奥深さに気づけない、その人の問題なのである。
これがよく言われるところの
「人は自分の力量までしか物事を理解できない。」ということである。
だが、語彙を増やして、忍耐強さや集中力も鍛えて、想像力や考える力を養えば、
本を読むことの面白さにきっとハマっていくと思う。
分厚い本、少々難解な本を読破したときに感じる疲れを、心地よいと思うようになる。
達成感とともに、またすぐ別の読書に取り掛かりたくなると思う。
自分が成長すると、難しいことにも楽しみを見出せるようになるのだ。
さらに話を広げるが、同様に、
努力をしない人には、努力をしている人のことはわからない。
頑張らない人には、頑張っている人のことはわからない。わからないのに、
さもわかっているかのような(先の「本なんてつまらない」のような)結論を出すのは、
(若いうちはある程度仕方ないが)自分の浅さを自分で公表しているようなものだ。
まぁ、とはいえ自分の浅さに気づくにも(大まかに言えば)「学」が必要なので、
簡単に言えば、何の努力も無しに、自分の浅さに気づけることはない。
SNS上のフェイクニュースや、デマ情報を鵜呑みにして、それを拡散したり、
あるいは、それをもとに人を攻撃したりする人が減らないのは、その最たる例だと思う。
さて、先ほど「(若いうちは・・・)」と書いた。
すなわち、大人になってもそうであるのは、少々残念である。
「勉強が全てじゃない」「勉強ができなくても・・・」なんて耳障りのいい言葉があるが、
やっぱり勉強はしてほしいと思う。
人の話を聞いたり本を読んだり、調べてみたりしながら、学んでほしい。
学んだことをもとに、自分の考えや意見を持てるようになってほしい。
だがそれは、人を言い負かすためのものでも、人を否定するためのものでもない。
そういうこともわかってほしい。
大谷選手よりもすごい実績を(現役選手時代に)出していた監督やコーチは存在しない。
だが、大谷選手は監督やコーチをバカにしたり、その指示を無視したりはしない。
また、自分より活躍していない選手を見て偉ぶったり安心したりもしない。
むしろ、大谷選手に限らず、一流と呼ばれる人ほど、謙虚な姿勢で人に教えを請い、
歳下や後輩、異業種の人からも学ぼうという姿勢がある。
勉強という言葉の響きや、その言葉のイメージが嫌なのであれば、言い方を変えよう。
大いに「学んで」ほしい!
