一問一答形式の問題集を使ったことのある人は多いと思う。
今の親世代でも、大学受験時には、
例えば山川出版の一問一答集にお世話になった人は多いのではないか。
理系だったから、山川は使ってない!という人もいるかもしれないが、
英単語だとかも含めたら、何かしらの科目で
一問一答形式のテキストを使ったことがあると思う。
で、それを使うこと自体は全く珍しいことでも悪いことでもないのだが、
では、それだけで受験勉強が事足りるかというと、そんなわけはない。
大学受験を経験した親御さんには、説明するまでもない話だと思うけれど、
ところが、子どもの勉強に関しては、
なぜかそればかりになる人(親)が増える傾向がある。
(おぼえた方がいい)知識をまとめたプリント
テストに出そうなところを集めた問題集
〇日で完成!〇日で苦手を克服!みたいなテキスト・・・
もう、本当に時間がない!!!という時なら、
こういうものに飛びつくしかない気持ちもわからなくはないが、
まだ時間のあるときから、これだけに絞って勉強することは…弊害だらけである。
今やっている勉強は、目先のテストをクリアするためだけのものではないはずだ。
即効性を求める勉強ばかりでは、目先のテストは乗り切れたとしても、
教養だとか考える力だとか、そういう土台を作ることはできないと思う。
また、その問題集で得た知識を、全く忘れないという
抜群の記憶力を持った人が仮にいたとしても、どのみち知識量でAIには勝てない。
勝った負けたの話が大事なわけではないが、これからの時代は特に、
そういう安直なものに頼ったことによる「物知り」では、
立ち行かなくなる可能性があると思う。
要は、それだけにならなければいいのであるが、やりやすい、やらせやすいということで、
それだけになってしまうことを危惧しているのである。
また、一問一答集というと、社会や理科を連想しがちであるが、
安直なものという意味では、社会や理科に限った話でもない。
国語などでも、短め(B5一枚くらい)の文章に、選択肢や抜き出しの問題が
セットになっているようなものがあるが、
(一目で)視界に入る場所に、傍線部と答えがある問題に慣れたことで着く力は、
そのときだけ役立つ力なのではないだろうか。
努力がすぐに結果に(成果に)なることを求める時代性であるのはわかる。
薬を飲んだらすぐに熱は下がってほしいし、痛みも引いてほしいのと同じように、
テストに出ること、点数になること、良い評価がつくことに絞って努力しないと
時間が足りない!と、こういう感覚なのだろうと思う。
だから読書や音読は敬遠され、軽んじられるのだろうと思う。
だが、すぐに成果が出ないことを、急がば回れでやってきた人の方が、
いや、成果があるとかないとか、そういうちっぽけな発想で
読書や音読に取り組んだわけではない人の方が、人生を豊かにできるというか、
ちっぽけじゃない成果を手にするのではないかと思う。