おぼえるまでやる

生徒に勉強してる?と聞くと、ほとんどの子は「してるよ!」と答える。
だが、その勉強「してる」が、「してるつもり」レベルでは、学力は伸びない。
やったつもり、おぼえたつもり、きっと大丈夫、できると信じたい…では、
点数に繋がらないし、本当の力にもならない。
成績、学力が中途半端なところで止まってしまっている子なら、
きっとおぼえがあるはずだ。
「あれ?これやったんだけどなぁ…なんだっけ?」という経験。

常日頃、ポジティブにやれ!と声をかけているが、こういうところでは、
ある意味ネガティブな人の方が、慎重で用心深い分、きちっとしている。
「今の理解では、まだ点数に繋がらない。」「違う角度から聞かれたら危なそうだ。」
と、自分の弱い部分を冷静に、客観的に見つめて準備する。
過信、慢心することなく、むしろ謙虚に取り組むのだ。

 

大学生のとき、車の運転免許を取得しようと教習所に通い、
そこでペーパーテストに向けての講義を受けた。
「原動機付自転車の積載装置に積める積載物の重量は60kgまでである。」
「〇か×か?」

答えは×で、正しくは30kgまでなのだけれど、
だいたい、運送業者でもないのに、荷物を積むときに、
いちいち重さを量ったりするものだろうか?と、問題に難癖つけても仕方ない。
これを原付に乗る気がなくてもおぼえなくてはいけない。
テストに出たら答えなくてはいけないし、正解しないと免許を取得できない。
おぼえることが、他の誰のためでもなく、自分のためなのだ。

だが、自分のためだとわかってはいても、
こういう(僕にとっては)興味の持てない問題の答えは、
指導教官が丁寧に説明を加えてくれていても、なかなかおぼえられない。
いや、実際は、この1問だけならさすがにおぼえられる。
しかし、似たような問題、しかも全てが大切な交通ルールとなると、
全然、頭に入ってこない。
先ほどの問題は、60kgだからなんとなく違う気がするけれど、
20kgで出題されたら、引っ掛かりそうだ。

教習所の教官からすれば、説明はしたよ!ちゃんと教えたでしょ!
免許を取りたいなら、おぼえなきゃね!自分のためだよ!
あとは自分次第だからね!ということになると思う。
その教官に、手取り足取り、おぼえられるまで教えて欲しいとは思わないし、
励まし続けて欲しいとも思わないけれど、
とにかく、全部が大事に見えるルールを、全部おぼえるってのは、
なかなかキツイことだと思う。

 

世のお父さん先生、お母さん先生の中には、
「なんで教えても、こんなに間違えるんだろう?」
と思う方がいらっしゃると思うけれど、
自分のためだとわかっていても、(上の話のように)おぼえにくいものはあるし、
それを「なんでこんなのもおぼえられないの!」「何回やったらできるの!」
と怒られても、余計にみじめな思いになるか、
「こっちだって知りたいよ!」と心の中で悪態ついて終わりである。

教わったら、それだけでできるようになるわけではないし、
教えたら、それだけでできるようになるわけでもない。
本人次第と子どものせいにして突き放す気はないのだが、そうは言っても、
『自分で』『おぼえるまで』やるしかないのも事実なのである。