だいぶ前に、体操の内村選手が
「体操は美しくないといけない」と言っていたが、
今年のリオオリンピック前には、
「最近、美しい演技の向こう側に行けそうな感じがしてきている。
美しい演技は当たり前にできるようになってきて、その向こう側を見てみたい。」
と、言っていた。
そしてオリンピックが終わった後に、
フィギュアスケートの高橋大輔さんが
「美しさの向こう側には行けましたか?」
と聞いたとき、
「行けたような気がします。
まだ落ち着かなくて、それを言葉では表現できないけれど、
落ちついてから振り返りたいと思います。
振り返れた頃に、もう一度聞いて下さい(笑)。」
というようなことを答えていた。
競技こそ違えど、トップアスリート同士だからこそわかりあえるような、
どこか熱い空気が、そこに流れている気がした。
話は少し飛躍してしまうけれど、
何かに精一杯打ち込み、それをやり終えた後に残る『熱』。
それは時として、見ている者にまで伝わってくるほどの『熱』である。
中学受験でも、その『熱』を感じた人がいたと思う。
喜びや安堵の気持ちにプラスして、達成感いっぱいの『熱』もあれば、
もっと自分の力を試したいと、ウズウズするような『熱』もあっただろう。
もっとやれたのに…と思う『熱』もあったかもしれない。
その『熱』をどうか忘れないで欲しい。
思うようにテストの点数が伸びずにイラだっていたこと。
やらなければいけないことを頭ではわかっていても、集中できなかったこと。
現実逃避してしまったこと。
勉強しているのではなくて、勉強しているつもりになっていたこと。
振り返れば、そんなこともきっとあったと思う。
でも、不安や葛藤を抱えながらも、
やりきったことで手にした『熱』がきっとあって、
それが自分の財産になっていると思う。
そしてどうか、その『熱』を後輩たちに伝えて欲しい。言葉にして欲しい。
大人が口にする正論よりも、はるかに大きなエネルギーになることも多い。
そしてまた、人に伝えようと言葉にすることで、
(その言葉を発した)自分に再び火が灯ることもある。
さらに、その言葉を受け取った小学校六年生が、受験を終えて、
翌年以降、今度は自分が次の受験生たちに伝える番だと思ってくれたら、
それはとてもありがたくて、嬉しい。
自分がもらったパワーを、(先輩に感謝しつつ)後輩に引き継いでいくというか、
想いを受け継いでいくというか。
それってとても素晴らしいことなんだと思う。